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【優勝に懸ける想い2025 Vol.3】〜辻田直佑子(4年/法学部/#96/DF)〜

【優勝に懸ける想い2025 Vol.3】〜辻田直佑子(4年/法学部/#96/DF)〜

こんにちは
あやこから回ってきました4年DFの辻田直佑子(まゆこ)です。

あやこは全てがビックでストロングです。

初めて会ったのは3グラでやってた体験会でした。急に「ねぇ入る?私入る!」って言ってきて、身長が高いあやこの顔を見上げたのを今でも覚えてます。ビックだからちょっと威圧的で一歩下がっちゃいました。ごめんね。

サマーでもウィンターでも23の準でも、走ってるだけに見えるのに、どんどん相手を抜かしてシュートを決めるあやこに、どうして抜けるんだろうって外から見て思ってたけど、一緒にプレーするようになって、あやこのビッグでストロングを目の前で体験したら、そういうことかって思いました。あれは無理です。そして25チームでは、ドロー取ってゴールに向かうあやこの背中を、リストレから数え切れないくらい見ました。こちらにボールを来させないでくれてありがとうって思ってたよ。DFになると急に弱気になるあやこもちょっと面白かったです。

同期の集まりとなると、あやこが先導してくれます。いつもリアクション遅くてごめんなさい。引退したら私たちの苦手な招集とやらをしないと会えないなんて、それは悲しいから私も頑張ります。リアクション待ってるよ^_^

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「優勝に懸ける想い」

25シーズンの私はこの日本一への想いだけを持って動いてました。
引退してからは、朝起きれないし、何をやるにもめんどくさいと思う自分が、この前まで、練習してアフターしてそのままジム行って、ビデオ見し、スカウティングして、夜ご飯食べたら自主練して、その後お風呂に入って、ストレッチをするという、バイトもせず、授業も行かず遊びにも行かず、ラクロスのことだけの毎日を過ごしていたと思うと、「日本一を取りたい」という想いだけで頭がいっぱいで、一生懸命だったんだと改めて感じています。

でも結果は残酷で、立教や日体のインスタとか見ると、今でも悔しいのか虚しいのかなんともいえない感情に苦しめられるし、自分たちが残した結果が、Bブロック4位で片付けられてしまうことはまだ受け入れたくなくて。RやDの練習に入ると、やっぱりラクロス楽しいって思うし、FINAL4行ってたら今どんな感じかななんて思っちゃう。

ただ、成果は得られなかったけど、4年間の自分のラクロス全体を振り返れば、「がむしゃらに頑張った4年間だった」と、自己肯定感は低い方ですが、自信を持って言えそうです。

ラクロスするとすぐ怪我して、サマーとウィンターに出れず、みんなの成長から遅れを感じながら、アウトばっかだった1年生

Rtmになるものの、ついて行けるわけなく自分だけ落ちて。丸子でVやRでプレーする同期を練習中にちらっと見ながら、上手くなりたいの一心でDで奮闘した2年生

やっと結果をだせるようになって、まさかの早慶戦やリーグのメンバーになったものの、練習してもしても、自分の立ち位置と実力に最後まで自信が持てなかった3年生

MDからDF転向して、D幹やフィジ幹を通してたくさんの後輩に元気をもらいながら、本気で日本一を取るってこれまで以上に生活全てをラクロスに注いだ4年生

ラクロスに真剣に向き合った4年間。
毎日のようにくだらないことで大笑いして、
側から見たらしょうもないことで喜んだり、悔やんだり、
息ができなくなるほど泣いたこともありました。
全部ひっくるめて本当に楽しかった。大学生活、ラクロスに捧げたことに後悔はありません。

ブログどう書こうか迷いながら、今年になってよりたくさんの後輩たちと関わっていると、過去のいろんな自分がフラッシュバックしたことが頭に浮かびました。
これまでたくさんの先輩方の引退ブログに励まされたから、だから自分も、なれるかはおいといて、喋るのが苦手な私なので、文字で笑!、誰かの力になれたらいいなと思って書いてみます。

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「自分の代になった時に、日本一を取るプレイヤーになる」

私がラクロスに没頭できたのはこの目標を立ててからです。
今でも鮮明に覚えている日があります。2022年11月6日 駒沢オリンピック公園第二球技場での関東FINAL立教戦、22チームが関東1位になって全国行きが決まった試合の後、試合会場で部員全員がわちゃわちゃ喜んでいる中、育成だったまなさんが半べその私を廣澤さんのところに連れてってくれました。

「4年生になった時、まゆこがこういう試合に主力として出たいなら、ウィンターに無理矢理出るんじゃなくて、出ずに今のうちに身体作りをするべき。やるなら今しかないよ。」

「ウィンターがあるから」と思って怪我でなくなく諦めたサマー。なのにウィンター前にまた怪我をして、技術や試合経験、同期の輪から遅れるのではないかという恐怖に押し潰されていた私に、廣澤さんは駒2のグラウンドを指差しながらこう言いました。サマーを通してみんながぐっと成長していたのを感じていたからこそ、「ウィンターに出ること」が自分のためになるという考えで頭がいっぱいだった私にとって、「4年生になった時」というのは新しいものさしでした。

ただ、ウィンターにでるという今の喜びを取るか、3年後の日本一を取るというより大きそうな喜びを取るか。もともと腰が悪くて、プレーもろくに続けられない私に、より大きな喜びって本当に来るのかなって、正直全く信じられなくて。今を取ろう、今すでに辛いんだからこれ以上辛いのは無理だ。とか思ったりして。考える度にどうすればいいか分からなくて、決断してはまた考え直して、を繰り返しました。で、結局、自分の代の時には、Vで日本一に貢献できる選手になる。そのために今は体づくりに専念する。って決めました。3年後の自分に投資をして、賭けてみることにしました。
理由は、素直に、自分1人ではこれからも関わることのできないだろう「日本一」を取ってみたかったから。そして、自分のラストイヤーを想像した時、もしも早い段階でVに上がれたとしても、そこで怪我に苦しめられて終わるより、遅咲きでもいいから、思いっきりプレーできるようになって日本一を取れる選手になりたいって思いました。(今思えば、慎重で、着実いきたい私らしい選択でした)

そこから、アウト中は出れない練習に参加しては、その後リハビリに行って、プレーしてる人より拘束時間長くねとか思ったり?笑。それでもキモいぐらいビデオ見して、自主練して、ジムで身体の弱いとこを指導してもらって鍛えて。頑張れば頑張るほど辛いし、嫌になることは数えきれないほどあったけど、絶対に出たかったウィンターを諦めてまで、自分がこの選択を取ったんだから、取っちゃったんだから、途中でグレるわけにはいかなくて、正解だったって思えるように頑張ってたら4年間が終わってました。

人生何が起こるかわかりません!笑
チャンスやピンチは突然やってきます。

Rtmになったときは、大久保さんDに来ないから人違いしてるわって真剣に思ったぐらい信じられなかったし、前日の夜に人数補充でV練試に呼ばれるとか、江田でゆいとGB競争中に衝突して腰やって、数日間身動き取れなくなったときもありました笑。ワンデイカップで一点も決められなかった自分が、次のシーズンでリーグ戦のメンバーになるなんて思ってもみなかったし、今シーズン、日体戦が終わった時の自分は、この後脳震盪になって明治戦にほぼ出れないなんて、当たり前だけど考えもしなかった。

何が起こるかわからないからこそ、上でプレーしている人が、これからも同じようにプレーできるという保障は誰もできないし、逆に、下でプレーしている人が、このまま下に居続けるなんてことも全く決められていないって本当に思います。

今じゃないだろって時こそ怪我はするものだし、想いの強さや努力が結果に見合わない時や、結果が出るようになってちょっと調子乗っちゃう時もあるけど、どんなに泣いても怒っても、ルンルンでも、今の自分の立ち位置や状況だけで将来の自分を決めつけないこと。チャンスやピンチが来てから動くのじゃ遅くて、すぐに表面に出てこなくとも、何をどれくらいやっているかが、そのあとのいつかの自分に必ず現れる。いい意味でも悪い意味でも、4年間を通して私が身をもって感じたことです。

だから、何が起こるかわからないこれからのために、常に今出せる全力を出し続けること。どんなに苦しい状況に陥っても、それを何かのきっかけに変えて、高い目標を追い続けてほしいです。

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※振り返ると辛いし、自分語りをつらつら書いたのをみんな読んで何も助けにならないって曖昧に書いてしまった25シーズンのこと。もう期限外で人に迷惑とお手数かけてまですることじゃないと思ったけど、最後に自分にちゃんと向き合おうと思って書き直しました。すみません。

25チームの途中で私はMDからDFに転向しました。大久保さんに、今年の攻め方的に、MDでいるよりDFになった方がまゆこの強みが活きるって言われて、悪く言ったらMDだったらVで主力でやっていけるか分からないってことだって思ったけど、ラストシーズン、置かれた場所で咲くしかないって思ったし、DFの方が性に合ってるとも思った。

でもDFになってからは、4年のくせにわからないことが多くて、だけど4年だから、自分の代のチームだから、引っ張ってもらうわけにはいかなくて、とりあえず技術を高めなきゃって対峙強化と戦術理解に取り組んだ。4年DFの2人として、そらとどんな関係性になれば、後輩DFGとどういう風に関わればいいのかなってちょっと悩んで考えたりもした。そして自分で納得できなかった自分の立ち位置に、自分もみんなからも納得してもらわないとって、ビデオ見では自分のステップをスロー再生して研究したし、榎林さんにフットワーク教えてもらって、上半身が弱いって言われたから、二の腕もりもりになって血管がでちゃうようになるぐらい筋トレして、必死になった。

シャット役かぁって思いながら、任せてもらったからには絶対に絶対に1点もいれさせなくてネトストしてまで0番を知り尽くして挑んだ早慶戦。気持ちが入ってないんじゃないかって心配したけど、そんな心配いらないよって感じで大量得点で終わった農大戦。みんなで自分の対面の顔写真をロック画面にして、一瞬たりとも忘れないように、闘争心を燃やした日体戦。月日が経つにつれて、そして試合を重ねる度に、自分が3年間MDをやってたことをすっかり忘れるぐらい、みんなとHFD、FFOにのめり込みました。大変なことももちろんあったけど、すっごい楽しかった。

スタメンでださせてもらって、キーマンを任せてもらったり、早慶戦で一応MVPになったり、リーグでVP取れるようになって、確かに結果に見える形で実力はついてきてました。でもブレイク対応とかライドとかで迷惑かけるし、インターやチェックは一生空振りで、MDからきたくせにパスキャも下手なままで。日体戦に負けた後、たくさんの人にナイディーだったって言ってもらったけど、あんなに準備したのに負けたのが悔しくて泣きました。明治までの約1ヶ月、やらなきゃいけないことがたくさんあって、もっと強くなりたい、最強のDFになって明治に絶対に勝つんだって意気込んだ。

そしてFINAL4に行くには絶対に勝たなきゃいけなかった明治戦の約2週間前、脳震盪になりました。やっぱり何が起こるかわかりません。2週間後に明治、3週間後に立教があるって先生に言ったら厳しいんじゃないかって言われて、その時は無理矢理にでもやろうと思ってた。でもなかなか復帰できなかった。リハビリしながら明治戦までの日が近づくにつれて、間に合わないのを実感してきちゃって、先生の言ってた厳しいんじゃないかが分かってきちゃって、どんなに願っても泣いても怒っても、変わらない事実を突きつけられた。みんなとラクロスしたい、final4に進みたい、冬までラクロスして日本一を取りたい、今ラクロスしないでいつやるのって家で大粒の涙がとまらなかった。大声をだしながら泣きました。頑張ってリハビリして、動けるようになってからは自主練して筋トレしたけど、結局2週間アウトして、試合の前日練習で完全復帰することしかできなかった。シーズン中の大事な2週間を逃すことは、毎日練習を積み重ねること、ラクロスに費やす時間の長さを自信の根源にしてきた自分にとって、あまりにも大きなダメージでした。

明治戦当日。1年の冬、廣澤さんからあの言葉をもらった同じ駒2に、3年後、Vに上がって、チーム分けではDF2番目になって、ベンチメンバーに選ばれた自分がいました。そして効くかもわからないヘッドバンドをつけた自分もいました。
試合が終わった時、私はグラウンドに立ってて、笛が鳴った瞬間涙が止まらなかった。勝手に溢れてきました。前日まで復帰できてなかった人がベンチに入れさせてもらっただけでありがたいことだったし、ほぼ試合にでれなかったのは分かりきってたけど、試合に何も貢献できなかったことが苦しくて申し訳なくて、そしてなにより、勝つとか負けるとか関係なく、みんなとこの試合で思いっきりラクロスしたかった。数週間前に想像してた自分と現実にギャップがありすぎて、こんな形が自分のラストであることを受け入れられませんでした。そしてあの目標を1年の冬に立ててから、ようやくここまできたのに、これまでの成果も今発揮できなかったらなんも意味ないじゃんって、これまで頑張ってきたことが無駄のように思えた。
でも立教戦は1週間後。気持ちの整理をしたいけど、してたら立教戦がきちゃうから、自分の気持ちに蓋をして、思い出しそうになったら他のことを慌てて考えて、記憶を消して、明治から立教までの一週間、あの時できる最大限の努力をしました。少しの希望を最後まで諦めたくなかったから。少しでも良い状態の自分でみんなとラクロスしたかったから。練習してもしても、強くなるんじゃなくて、これまでの穴を埋めてるだけのような、取り戻してるだけな気がしたけど、するしかなかった。みんなでマルコオモリしたのも大切な思い出です。

そうして迎えた立教戦。これまでの自分にはやっぱり戻れなくて、リストレに立つことはできませんでした。ベストメンバーに試合に出る権利があるのは、これまで何度も学んできたから、逆にあんな自分でも試合に出していただいて恵まれてました。でもやっぱりここで終わるわけにはいかなかった。だから今の自分の強みは、技術とかじゃなくて、この終わらせられないっていう思いを持ってることだと思って、出るからには試合が終わるまで、笛が鳴り止む直前まで、絶対諦めなかった。同点シュート入れられて、4Q最後の最後、取ったGB。その後はくにパスした。いけると思った。最後の最後に奇跡起こるかなみたいな、報われるかなみたいな、今思えば甘っちょろい考えでした。完全なる実力負けでした。

引退が決まってからの部活に参加する自分は周りからどう見られていたのか。周囲の目を気にする方の自分ですが、気にできないぐらいあまりにも自分には辛かった日々でした。立教戦の次の日にいったD合宿でデベのみんなを見て、初めて帰りたいって思ってしまった。自分の気持ちを無視してた分、なんかもうわかんなくて、カオスで感情のキャパの限界を感じました。こんな形で、あんなにあんなに成し遂げたかった日本一が、FINAL4にも行けずに終わったことが本当のことだなんて受け入れられなくて放心状態だった。

100人以上の部の代表として、リーグ戦に出場させていただいてる。
最後の最後まで25Vの実力をあげ続けることが4年生の役割。

何回も大久保さんに言われた。頭では分かってるつもりだし、やってたつもりでした。でも農大との練習試合中、東大戦に向けての練習中、ダメだダメだって思っても涙が勝手に出てきちゃう。なんのためにやってるんだろうって、なんで今更身体の調子が戻ってきてんだよ自分、遅いんだよって。いつもみたいにもっとこうすればいいんだとか思った瞬間に、今自分が強くなったとて結果は変わらないんだとか、全部員と応援してくださる方達に失礼で責任感のない最低なことだけど、そう思ってしまう自分がいた。良い時も悪い時もどんな時も原動力にしてた目標が途絶えた自分は、あまりにも弱くて、自己中心的でした。

きちんと自分の気持ちに向き合うことから逃げないこと。自分が思ったことを人にちゃんと伝えること。自分に足りなかったことだと思います。
悲しくなったり辛くなるのが嫌で考えることを途中で放棄したり、相手がどう思ってるかわからないから、どう思われるかわからなくて怖いから、言わなくても分かってくれてるからって、自分が思ってることを言葉で言おうとしてやめた時があった。口数はあまり多くないけど内に秘めてる思いが強いっていうのは自分の弱点でした。恥ずかしくても素直な気持ちを伝えればよかったとか、あの時こういう風に声掛ければよかったとか、面と向かって話せばよかったとか、自分の意見を強く持って言ってみればよかったとか、分かってたのに、なにかを理由にして逃げてた自分に後悔しています。あの目標に届かなかったのは、脳震盪とかはそんなのは関係なくて、ただこの自分を変えなかったからです。だから今、相変わらず25Vが残した結果は同じで、自分が思ったことをそのまま正直に書きすぎて、訂正なんてしちゃって色々と怖いけど、最後のチャンスだと思って、自分に逃げずに向き合って、こうやって書き直しさせていただいてます。

結局は実力です。でもその実力は技術だけじゃないし、1人1人を足しただけのものでもない。チームメイトに対する信頼、一体感、自信とか、そんな目に見えないものが、技術をより強くさせるし、チームを無限に強くしてくれるものだと思います。

でも後悔や反省は置いといて、今言いいたいことは、DF転向してみんなと25チームラクロスできたこと、本当に光栄で幸せだった。4年だからとか勝手に責任感を感じてた自分が恥ずかしいぐらいに、みんなが頼もしくて、当たり前だけどみんながいるからこその自分でした。

そらがスペース見てくれるって思えたから、攻撃的になれたし、
さえが良い接点持つだろうって思えたから、DBの準備したし、
せいがGB取りきるって思えたから、次のパス先になろうと動いた。
きょんがナイス対峙してくれるって思えたから、自分が抜けても大丈夫だって信じられたし、
ちほとあんながナイキーして、ナイローしてくれるから、相手がシュートモーションに入った時には、もう切り替えなきゃって思えました。

あーーもっと続けたかった。もっとやりたいって思ってたことがたくさん残ってました。
ずっと一緒にラクロスやりたい、一緒に寒くなるまでもっと強くなりたい、すごい景色を一緒にみたいって思えるチームでした。普段は声小さくてモゾモゾいうからわからないって言われる私ですが、もっとラクロスしたかったって声を大にして言えます。いいたいです。本当にありがとう。

これが25チームへの自分の想い全部だと思います。あまりにも感情をさらけ出しすぎておかしいかもだけど、それぐらい日本一に時間と体力と気持ちと、全てを費やしてました。正直になって書き切りました。もし訂正してるのを見つけて読んでくださった方、長い自分語り読んでいただいてありがとうございました。

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そして今シーズンだけじゃなく、4年間私がこんなにラクロスに夢中になれたのは、先輩、後輩、そして同期、他にも支えてくださった沢山の存在があったからです。

まず、調子がいい時も悪い時もどんな時も支えてくださった榎林さん、dr.armsのみなさん。ここに書くか迷ったけど、お世話になりすぎたので書きます。今の自分がいるのは、間違いなく榎林さんのおかげです。部活でうまく行かなくても、あそこに行けば自然と明日も頑張ろうって思えました。約3年間ありがとうございました。

そして、日本一取りたいって強く憧れを抱いた22チーム、1年の頃のなよなよな私をいつも元気づけてくれた育成、引退しても応援にきてくれる一緒にデベを乗り切った先輩方、自信も実力もなくてDBばっかする自分をフォローしてくれた23Vの4年生。そして、最後までDだったのに自分もいつかはVに行くんだって希望を持たせてくれた、私を真似て髪を切った背格好が似てる先輩。追いかける背中がたくさんありました。

自分もそんな存在になりたいって思って入った25チーム。D幹になったのも、自分がVにいるからには、自分を見てデベのみんなの少しでもの希望になれればっていう想いがありました。でも結局日本一どころかFINAL4の景色さえ見せることができなくて、なんならみんなからたくさんパワーをもらってました。なんか疲れたって思っても、デベのみんなや後輩達が頑張ってるのを見て、悩んだり苦しんでる思いを聞いて、疲れたなんていってられなくて、みんなの力になるために25シーズン終わらせられないってそう思わせてくれました。なんか生意気な人もいるけど、みんなの存在が私の原動力でした。これからも頑張ってね。

最後に同期。もう一度最後に日本一を取らせてあげたいって思わせてくれる人や、なんか一回勝手にやめようとしたくせに、今ではラクロスのせいで他のこと犠牲にしすぎな人。フィジカルとうるささは比例してるんだって思わせてくれる人たちとか、ピクニック状態って言われたり、友達じゃないよって言われても、一緒に頑張ってきた人たち、自転車仲間のご近所さん。他にもぴったりな代名詞はたくさん思い浮かびましたが、ここらへんでやめときます。言いたいのは、人数少ないのに自分にとって存在が大きすぎる同期ってことです。不憫キャラとか言われたり、話し方真似されながらみんなと過ごした4年間、楽しかった。もし今、2022年5月に戻れるとしても、ラクロス部に入ってみんなと出会いたいです。本当にありがとう。ラクロスしかしてなかったせいで友達はみんなしかいないので、これからもお願いします。

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明日のブログは多くの後輩がお待ちかねであろう、そらです。

家が近くて、同じチームで同じポジションにもなって、自然とそらとは25シーズンの多くを一緒に過ごしました。性格や考え方、好きなものとかは全然違うけど、ラクロスや部活のこととなると似てることが多かった気がします。行き帰りの車も、今思えばラクロスの話ばっかだったね。

V幹であり、DFのリーグ経験者であり、その他諸々シゴデキだからこそ、抱えているものが多いと思って、同期の自分が分けて持てるようになろうとしましたが、気持ちだけで終わっちゃったような気がします。力になりたくてもなれないほど、超絶広い視野と先を読む力とマルチタスク力でチームのために、日本一のために、表でも裏でも動いていました。たまにウザい発言もなされますが、まあそれはスルーです。いっいっいらいら♩でも脳内で歌っとくのがコツだと学びました。

どんな時も、日本一のために動いている人が近くにいたから、私も頑張れた!本当にありがとう。

それではそらの優勝に懸ける想いどうぞっ

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