
なおからバトンを受け取りました、4年MGのまなみです。
なおとは二人しかいないスタッフとして、30人所属するスタッフチームを引っ張るように頑張ってきました。スタッフに転向する前はそんなに話したこともなかったし、「金髪のインナーカラーからボブになった子」というイメージぐらいしかなかったです。ある技術合宿の夜、「ちょっと話したいことがある」って言われて廊下の椅子に二人で座りました。そこで、スタッフ転向するという告白をされ、当時どんな答え方したか忘れましたが、今まで「一人」ということもあり、急に同じポジションの同期が増える事になって、いろんな思いがありました。でも今思い返すとなおがいなかったら、とっくに辞めてます。今では部活内での悩み事や全く関係ない事も全部とりあえずなおにラインするぐらいです。なおには、私にない言わなければいけない時に言える度胸、頭の回転の速さ、そしてどんなに暗い雰囲気の中でも場を明るくしてくれる力があって、見習ってました。かつては人数不足のスタッフチームだったのが、今では1チームを作れるくらいのスタッフ人数に。25チーム始動後2人で「どう引っ張っていけばいいんだろうね」って頭を抱えていたのも、今ではいい思い出。たった一人の私の同期スタッフです。どんな時も一緒に頑張ってくれて、本当にありがとう。なおがスタッフに転向してくれて本当によかった、これからもよろしくね
ーーーーーーーーー
ラクロスというスポーツには、高校で出会いました。ずっと海外に住んでいた私は、日本の「部活」という文化を漫画の世界の話のように感じていて、ずっと憧れていました。高校で夢であった「THE部活」をやろうと決め、どの部活に入ろうか考えながらバスに乗っていたとき、通りがかりの同じ高校の生徒が、可愛いボストンを持ち、「LACROSSE」と書かれた練習着を着ているのを見て一目惚れしました。本当に単純なきっかけです。格闘技と球技の境界線を跨ぐラクロスはとても魅力的で、そのスポーツをしている選手はさらにかっこよく、本気で戦う姿をそばで見ることが本当に贅沢でした。大学ではMG(マネージャー)として入部し、3年の時は早慶戦実行委員、副務、4年生の時は主務を務めさせていただきました。まとまりのない文章になってると思いますが、各役職通しての経験や学んだことをここに残します。「まなみさんのブログ、英語でも全部翻訳して最後まで読みます!」って言ってくれた後輩がいたのですが、流石に引退ブログは頑張って日本語で書きます。
ーーーーーーーーー
スタッフとして入部したのは私だけでした。Freshmenにずっと配属されるわけではなく、VRDを転々と周ります。久々にFreshmenに配属されても、全員プレイヤーである同期と壁を感じる部分もあり、しっかり仲良くなれたのはもっと後のことでした。MGは他の役職と比べると、曖昧なポジションだと思います。TRはテーピングやリハビリ、怪我の対応を専門とし、ASはデータ分析やスカウティングで戦術の質を高める必要不可欠な役職です。それに比べると、「じゃあMGって何ができるの?」と1年生の時から疑問に思っていました。
泥だらけになることもなければ、炎天下の中で60分間走り続けることもない。 相手チームにぶつかられることも、怪我をすることもない。練習中に「もっとバンバン仕切っていいよ、厳しく」と言われても、動いてない私にこんなにピーピー笛吹かれる筋合いなんてない。試合中に点差が開いていた時、「どんまい、こっからだよ、ナイスファイ」と言われたら、普段走ってない人に言われたら腹立つんだろうな。「あと一点!」と叫んでも、自分は見守ることしかできない。シュートを決めることも、点を守ることもできない。だからこそ、次第に“無力な役職”だと思うようになっていきました。どう支えてあげられるのか分からず、部での自分の存在意義に悩んだ時期もありました。でも、今の私からMG(スタッフ)の後輩に伝えたいのは、「支え方は人それぞれあっていい」ということです。どんなに小さなことでも、自分が“支えてる”と思えたなら、それを全うすればいい。
160人もいれば、同じ考えの人はあまりいません。考え方はそれぞれです。学年が上がるたびに後輩のスタッフが善意で仕事をしてくれるので、仕事をしてても途中からやってくれて、4年スタッフは練習中は無職になりがちでした。そこで、「誰よりも早く塩分チャージを配る」というプチ目標を立てて、ただそれをひたすら続けました。お陰様で「塩チャおばさん」という名を貰えました。(今思うとお姉さんの方がよかった) 梅味、グレープ味、ラムネっぽいのより硬い方が好きな人などなど沢山いましたが、少しでも疲労が回復するならと思い、必死に薬局やスーパーを探し回りました。(結局ブドウ味は生産終了していてなかったのですが。レモン味より美味しかったのに!)渡すたびにかけてもらう「ありがとう」の言葉が個人的にすごく嬉しく、 そうしていくうちに塩分チャージを配るという小さなことがいつの間にか、自分のチームへの支え方の自信へと変わっていました。
大きな声を出す、ボールが飛んでいったらすぐ取りに行く、荷物を整理する。なんでもいいんです。自分ができることを見つけて、それを着実に続けていったら、それに選手も気づいてくれて、支えてる実感が沸いてくると思います。
ーーーーーーーーー
早慶戦実行委員は、必然的に就任した役職で、決まった時には同期からも「まなみ大丈夫かな〜」と心配され、自分自身も1番心配していました。LINEではなく、ほとんどメールでのやりとり。学生主体とはいえ、学生の立場は小さく、副務業務との両立で毎日パンクしそうで、本当にパソコンを真っ二つに折ろうとした日もありました。それに加え、その年の早慶戦のベンチメンバーに選ばれたいという目標があったのですが、実行委員との両立は難しいだろうと自分でもわかってましたし、最初は入れない事が確定してました。でもどうしても入りたい欲だけは捨てきれず、4年生の先輩に思いの丈を長文で送りました。(今思うと恐怖ですね、ごめんなさい笑笑)熱意が届いてくれたのかお手上げ状態だったのか分かりませんが、ありがたいことにベンチ入りが叶い、その年の早慶戦では選手が勝利してくれて、最後にベンチ側と観客席で「若き血」を歌うことができました。「めっちゃ楽しかった」と横でベンチメンバーが汗だくの笑顔で言ってました。何気ない一言だったかもしれません。でもたったその一言が、「この人達の笑顔をもっとみるためには」と考えさせてくれて、主務への立候補につながりました。
投票で就任なれなかったらどうしよう
主務になっても猛反対されたらどうしよう
当事者抜きでの話し合いで何言われてるんだろう
ともちろん心配してました。同期の中でもリーダーシップがある方ではないし、人前に立つことが得意というわけでもありません。それでも主務になりたいと思った自分の気持ちを信じ、「怖がらずに挑戦しよう」と言い聞かせて、今に至ります。これは後輩スタッフだけに言ってるわけではなく、全部員に言ってます。目標ややりたいことは口に出して、行動すべきです。もちろん思い通りにならないことも多いですが、目標があるなら動いたものがちです。(スタッフなのに実況テスト3回落ちた私が今こうなってるので、可能性は無限大と言っても過言ではないと思います)
みんなに安心してもらえて、自分たちの思い描く“日本一最強のラクロス”が実現できるよう、無事にグラウンドまで見届ける主務になりたい。
これは主務立候補スピーチの最後に言った言葉です。点を稼いで戦績に貢献できないからこそ、部員一人ひとりが“やりたいラクロス”を体現できる環境をつくりたいという想いがありました。3つの役職を通して、納得のいかないことや不条理なことが次々と出てきて、何度も折れそうになりました。そんなとき、練習や試合で笑っている部員の姿を思い浮かべると、「絶対にこの子たちの笑顔とラクロスへの想いは守りたい」と心がメラメラ燃えて、また前を向けました。主将・副将が前でチームを導くなら、主務は後ろから支える役割だと思い、注目されることは少なくても、チームを支えるこの立場に誇りを持っていました。160人が所属するこの部の幹部として、何かあったときに最後に代表として責任を取るのは幹部です。自分たちの意見ひとつで部が揺らぐこともあると思うと、「自分がよければそれでいい」ではなく、「部のために」と考え、一つひとつの発言を3人で納得のいくまで話し合ってきました。決断には常に責任が伴うことを何度も実感し、その重さに押しつぶされそうになった日もありましたが、今はその分だけ強くなれたと感じています。
他部活の幹部と出席するイベントに参加するたびに、毎回聞かれるのが「どうして女子ラクロス部には、毎年こんなにたくさんの新入生が入ってくるの?」という質問でした。そのたびに私は、「え〜なんでなんでしょうね、すごいですよね」と笑いながら答えていました。マイナースポーツであるラクロス部が、約44部の中でも常に人数上位に入っているのは、ラクロスという競技の魅力ももちろんですが、やっぱり「人」の力だと思います。私の原動力は、常に「人」でした。1年間、主務として頑張ってこられたのは、間違いなく部員のみんなのおかげです。この部を選んでくれて、本当にありがとうございます。どの学年も、みんなかっこよくて、可愛くて、愛おしくてたまりません。まだまだ側にいられたらなぁって、思ってしまいます。
そんな最高の部の主務になれて、本当に幸せでした。
長くなりましたが、読んでいただいた方ありがとうございました。
ーーーーーーーーー
Appreciation Time:)
同期へ
この4年間、私の言いたいことをほとんど汲み取ってくれてありがとう。人数が少なくて、例年の代と比べると負担が大きい時もあったと思うけど、よくここまでやってこれたなって本当に思います。偉い!みんながプレーしている姿はいつだって最強で、かっこよかったです。これからのみんなの人生に、たくさんの幸せがありますように!(あ、文学部じゃなくても全員文才なの本当に困りました)
かなとみらへ
二人とは、この一年間、本当に私たちなりに全力で走ってきたと思います。みらとは入部当初から家が近くて仲は良かったけど、幹部として関わるのは最初はとても不思議で、かなとは少し話すくらいの関係だったから、3人が幹部に決まったとき、同期がどう思ったかはわからないけれど、実は私は「ここ3人で幹部か〜」とワクワクしてました。相性が良かったというよりも、自然とお互いが溶け込んでいった気がします。今年は間違いなく「挑戦の年」だったと思います。例年見て見ぬふりをされてきた問題に向き合い、解決したり、取り掛かってみたり、どうしたらもっと浸透するかを3人で何度も考えた一年でした。きっとみらは、「休部してたのに副将、大丈夫かな」と不安を抱えながらも前に進んでくれて、かなは我慢強い分、主将という名の重圧を誰よりも感じていたと思います。それでも、試合で二人が活躍している姿をベンチから見ていると、毎回涙が出そうになっていました。OGとして試合を観に行くとき、きっとあのASCEND旗を見るたびに、3人で作っていた時間を思い出すと思います。引退したら、もうあのグループラインも動かなくなるのが本当に寂しいです。そんな二人と幹部として過ごした日々は、これからもずっと私の大切な宝物です。一年間本当にお疲れ様。出会えて本当に良かった、ありがとう。
まりあさん、かわまたさんへ
お二人には本当にたくさんお世話になりました。引退後も、私の急に多いLINEを返してくださったり、当時まだポンコツだった1年生の私を温かく育ててくださって、本当にありがとうございました。大好きな二人の足跡を辿りたくて、主務になりたいと思ったのもお二人の影響が大きいです。
22チームの4年生スタッフ先輩方へ
当時の私にとって、4年生の先輩方は本当に背中が大きくて、憧れそのものでした。私も今の1年生から、少しでもそんな風に見えているのでしょうか。ビデオ実況ができずにご心配をおかけした部分もあったと思いますが、それでも丁寧に、手厚く育成してくださったおかげで、今の自分があります。4年生の最後丸子練だった際に、まいこさんに「私たちもラスト丸子かー!あー長かった!まなみはあと3年あるね」って言われた時は、正直その“あと3年”に絶望しました。あの時の私には、4年生の背中があまりにも遠く感じて、そこに辿り着くまでの道のりが想像もできなかったんです。でも気づけばあっという間にその立場になっていて、1年生に接する時、「あの時こう言われて嬉しかったから、こう教えてあげよう」と思い出すことがあります。(ちなみに、みつきさんから頂いたストップウォッチは今でも愛用しています。日本一を掴んだ日のストップウォッチだと思うと、なかなか変えれません。)改めて、先輩方の偉大さと温かさを実感しています。本当にありがとうございました。
後輩スタッフへ
7年間痛いほどわかったのは、スポーツはやっぱり「勝ちか負けか」だということ。この7年間のラクロス人生で、それを何度も思い知りました。過程の頑張りなど一切考慮されず、最後は「結果が全て」です。大変な思いをして、勝利を掴みにきたのはどのチームも同じ。勝敗のあるスポーツだからこそ人は本気になれて、最終的に「点」を決めるためのは、選手。選手が点を決めるためには練習の環境を整えてあげる「過程」が大事。その過程にスタッフがどれだけ選手を支えられるかが鍵!なおと私があんなに可愛がってたみんなならこの先もきっと大丈夫です。
MG後輩へ
25チームがスタートしてから、本当にたくさんの新しい仕事に挑戦してきたと思います。体制も変わり、戸惑うことも多かったけれど、それぞれが責任を持って自分の役割を全うしてくれたことが何より誇らしいです。就活であまり携わることができなくて申し訳なかったんだけど、私がいなくてもぐんと成長して、いつの間にかチームが自然に支え合って動く姿が当たり前になって、誰かのために動けるみんなを見て、本当に頼もしく、心から誇りに思いました。1年生の時にMGを選んどいて良かった
ちはる、ふみこ、ひよりへ
あとは任せたよ、期待してる
はるかへ
はるかなしでは、今年を走り抜けることはできませんでした。無敵で最高の副務でした。お互いオフの日にメディアで勉強しに来て、ばったり会っちゃうくらい思考が同じで、家も近くて、車の中でずっと語り合ったね笑。本当に心強かったです。主務・副務として一緒に活動できて、とっても楽しかった。頼り甲斐しかなくて、おかげで就活期間も全く心配せずに過ごせました。私にとって最高の相棒でした。しっかり者で真面目でオールマイティーかと思ってたら、「私、運転が下手なんです」って言ってくれた日から、ちょっと人間味が感じられて爆笑したのを今でも覚えてます笑。そんなギャップも含めて、全部がはるからしくて、本当に大好きです。これからどんな道に進んでも、はるからしく真っ直ぐでいてください。ずっと応援しています。
あおい、よっぴー、すずへ
かつて同期だったのに違うチームになって、見慣れた背番号とユニフォームから変わって活動するのが1年生の時本当に不思議だった、サマーとかウィンターとかで会えて実は嬉しかったし、みんなのチームのインスタを見て、密かにエネルギーも貰ってました笑 高校の時は全国大会が無くなっちゃって不完全燃焼のまま引退になっちゃったけど、大学でもラクロスを続けてお互いのところで切磋琢磨に取り組んでいて、自慢の高校同期です。すずは毎年早慶戦見に来てくれてありがとう!毎年全体集とかで写真だけ撮って話せるの5分だったからこの場を借りて4年間の感謝を伝えさせてください、、面と向かっては言えずにいたけど、家族やラクロス部じゃない人が見にきてくれるのは本当に嬉しかったよ!
パパママへ
慶應の一般入試を受けるか悩んでいた時、最後に背中を押してくれなかったらここにいませんでした。「ハッピーであればそれでいい、一番の応援隊だからね」って、どんな時も味方でいてくれて、21年間やりたいことを自由に挑戦させてくれたり、何よりこんなわがまま娘に付き合ってくれて本当にありがとう。どんなに早い朝でも、起きて「いってらっしゃい」と送り出してくれたり、夜遅くまで帰りを待ってくれたりした事がどれだけ支えになっていたか、今になって改めて感じています。一生実家住みが良いです!
Kへ
見てないと思うけど、書きます。私よりも全方面で優れているKだけど、大学1年生と大学4年生であることには変わりないので、少しだけ先に経験した身として、学んだことを分けます。この若さで「大学生」という時間は一度きりです。やりたいと思ったことは、迷わず全部やってください。挑戦した分だけ、必ず自分の糧になります。家では冷たくしてしまうけれど、自慢の弟です。
次はみらです。
4年の末っ子で、ふわふわキャラのみら。一日遅かったら後輩になっていたと思うと、早く生まれてきてくれて大感謝です。家も近く、ご飯に行くことも多かったのですが、大体いつも何を食べるか永遠に迷いがちで、2択のうち一つを提案すると「でもみら、こっちの〇〇も食べたいんだよねぇ〜」と3択目を急に出してくるかわいい一面があります。
そして個人的には、みらがパスを出すときに片足が曲がるのが癖なのか可愛くて、ついつい見ちゃいます笑。あざと可愛い部分もありますが、その反面、副将という役職をしっかり全うしてくれて、今シーズンは全種類の試合に出場し、本当にチームを引っ張ってくれました。
幹部として一緒に悩んで、笑って、時には支え合って過ごした日々は、間違いなくこの一年の支えでした。本当にありがとう。
(11月、12月、2月も会えちゃうので、まだ全然悲しくないです)
我らの副将・みらのブログ、お楽しみに!


