
こんにちは
あやこから回ってきました4年DFの辻田直佑子(まゆこ)です。
あやこは全てがビックでストロングです。
初めて会ったのは3グラでやってた体験会でした。急に「ねぇ入る?私入る!」って言ってきて、身長が高いあやこの顔を見上げたのを今でも覚えてます。ビックだからちょっと威圧的で一歩下がっちゃいました。ごめんね。
サマーでもウィンターでも23の準でも、走ってるだけに見えるのに、どんどん相手を抜かしてシュートを決めるあやこに、どうして抜けるんだろうって外から見て思ってたけど、一緒にプレーするようになって、あやこのビッグでストロングを目の前で体験したら、そういうことかって思いました。あれは無理です。そして25チームでは、ドロー取ってゴールに向かうあやこの背中を、リストレから数え切れないくらい見ました。こちらにボールを来させないでくれてありがとうって思ってたよ。DFになると急に弱気になるあやこもちょっと面白かったです。
同期の集まりとなると、あやこが先導してくれます。いつもリアクション遅くてごめんなさい。引退したら私たちの苦手な招集とやらをしないと会えないなんて、それは悲しいから私も頑張ります。リアクション待ってるよ^_^
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「優勝に懸ける想い」
25シーズンの私はこの日本一への想いだけを持って動いてました。
引退してからは、朝起きれないし、何をやるにもめんどくさいと思う自分が、この前まで、練習してアフターしてそのままジム行って、ビデオ見し、スカウティングして、夜ご飯食べたら自主練して、その後お風呂に入って、ストレッチをするという、バイトもせず、授業も行かず遊びにも行かず、ラクロスのことだけの毎日を過ごしていたと思うと、「日本一を取りたい」という想いだけで頭がいっぱいで、一生懸命だったんだと改めて感じています。
でも結果は残酷で、立教や日体のインスタとか見ると、今でも悔しいのか虚しいのかなんともいえない感情に苦しめられるし、自分たちが残した結果が、Bブロック4位で片付けられてしまうことはまだ受け入れたくなくて。RやDの練習に入ると、やっぱりラクロス楽しいって思うし、FINAL4行ってたら今どんな感じかななんて思っちゃう。
ただ、成果は得られなかったけど、4年間の自分のラクロス全体を振り返れば、「がむしゃらに頑張った4年間だった」と、自己肯定感は低い方ですが、自信を持って言えそうです。
ラクロスするとすぐ怪我して、サマーとウィンターに出れず、みんなの成長から遅れを感じながら、アウトばっかだった1年生
Rtmになるものの、ついて行けるわけなく自分だけ落ちて。丸子でVやRでプレーする同期を練習中にちらっと見ながら、Dで上手くなりたいって死に物狂いで練習した2年生
やっと結果をだせるようになって、まさかの早慶戦やリーグのメンバーになったものの、練習してもしても、自分の立ち位置と実力に最後まで自信が持てなかった3年生
MDからDF転向して、D幹やフィジ幹を通してたくさんの後輩に元気をもらいながら、本気で日本一を取るってこれまで以上に生活全てをラクロスに注いだ4年生
ラクロスに真剣に向き合った4年間。
毎日のようにくだらないことで大笑いして、
側から見たらしょうもないことで喜んだり、悔やんだり、
息ができなくなるほど泣いたこともありました。
全部ひっくるめて本当に楽しかった。大学生活、ラクロスに捧げたことに後悔はありません。
ブログどう書こうか迷いながら、今年になってよりたくさんの後輩たちと関わっていると、過去のいろんな自分がフラッシュバックしたことが頭に浮かびました。
これまでたくさんの先輩方の引退ブログに励まされたから、だから自分も、なれるかはおいといて、喋るのが苦手な私なので、文字で笑!、誰かの力になれたらいいなと思って書いてみます。
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「自分の代になった時に、日本一を取るプレイヤーになる」
私がラクロスに没頭できたのはこの目標を立ててからです。
今でも鮮明に覚えている日があります。2022年11月6日 駒沢オリンピック公園第二球技場での関東FINAL立教戦、22チームが関東1位になって全国行きが決まった試合の後、試合会場で部員全員がわちゃわちゃ喜んでいる中、育成だったまなさんが半べその私を廣澤さんのところに連れてってくれました。
「4年生になった時、まゆこがこういう試合に主力として出たいなら、ウィンターに無理矢理出るんじゃなくて、出ずに今のうちに身体作りをするべき。やるなら今しかないよ。」
「ウィンターがあるから」と思って怪我でなくなく諦めたサマー。なのにウィンター前にまた怪我をして、技術や試合経験、同期の輪から遅れるのではないかという恐怖に押し潰されていた私に、廣澤さんは駒2のグラウンドを指差しながらこう言いました。サマーを通してみんながぐっと成長していたのを感じていたからこそ、「ウィンターに出ること」が自分のためになるという考えで頭がいっぱいだった私にとって、「4年生になった時」というのは新しいものさしでした。
ただ、ウィンターにでるという今の喜びを取るか、3年後の日本一を取るというより大きそうな喜びを取るか。もともと腰が悪くて、プレーもろくに続けられない私に、より大きな喜びって本当に来るのかなって、正直全く信じられなくて。今を取ろう、今すでに辛いんだからこれ以上辛いのは無理だ。とか思ったりして。考える度にどうすればいいか分からなくて、決断してはまた考え直して、を繰り返しました。で、結局、自分の代の時には、Vで日本一に貢献できる選手になる。そのために今は体づくりに専念する。って決めました。3年後の自分に投資をして、賭けてみることにしました。
理由は、素直に、自分1人ではこれからも関わることのできないだろう「日本一」を取ってみたかったから。そして、自分のラストイヤーを想像した時、もしも早い段階でVに上がれたとしても、そこで怪我に苦しめられて終わるより、遅咲きでもいいから、思いっきりプレーできるようになって日本一を取れる選手になりたいって思いました。(今思えば、慎重で、着実いきたい私らしい選択でした)
そこから、アウト中は出れない練習に参加しては、その後リハビリに行って、プレーしてる人より拘束時間長くねとか思ったり?笑。それでもキモいぐらいビデオ見して、自主練して、ジムで身体の弱いとこを指導してもらって鍛えて。授業抜けは一回もしないで毎回アフターに入れてもらったし、全チームのビデオを見尽くして、どんなにやりたくなくても毎晩壁当てとGBした。頑張れば頑張るほど辛いし、嫌になることは数えきれないほどあったけど、絶対に出たかったウィンターを諦めてまで、自分がこの選択を取ったんだから、取っちゃったんだから、途中でグレるわけにはいかなくて、正解だったって思えるように頑張ってたら4年間が終わってました。
人生何が起こるかわかりません!笑
チャンスやピンチは突然やってきます。
Rtmになったときは、大久保さんDに来ないから人違いしてるわって真剣に思ったぐらい信じられなかったし、前日の夜に人数補充でV練試に呼ばれるとか、江田でゆいとGB競争中に衝突して腰やって、数日間身動き取れなくなったときもありました笑。ワンデイカップで一点も決められなかった自分が、次のシーズンでリーグ戦のメンバーになるなんて思ってもみなかったし、今シーズン、日体戦が終わった時の自分は、この後脳震盪になって明治戦にほぼ出れないなんて、当たり前だけど考えもしなかった。
何が起こるかわからないからこそ、上でプレーしている人が、これからも同じようにプレーできるという保障は誰もできないし、逆に、下でプレーしている人が、このまま下に居続けるなんてことも全く決められていないって本当に思います。
今じゃないだろって時こそ怪我はするものだし、想いの強さや努力が結果に見合わない時や、結果が出るようになってちょっと調子乗っちゃう時もあるけど、どんなに泣いても怒っても、ルンルンでも、今の自分の立ち位置や状況だけで将来の自分を決めつけないこと。チャンスやピンチが来てから動くのじゃ遅くて、すぐに表面に出てこなくとも、何をどれくらいやっているかが、そのあとのいつかの自分に必ず現れる。いい意味でも悪い意味でも、4年間を通して私が身をもって感じたことです。
だから、何が起こるかわからないこれからのために、常に今出せる全力を出し続けること。どんなに苦しい状況に陥っても、それを何かのきっかけに変えて、高い目標を追い続けてほしいです。
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25シーズンも色々なことがありました。
11m扇から15m半円になって、ゾーンからマンツーになって、MDからDFになって、1番頑張らなきゃいけない時期に2週間アウトしました。正直言ったら、心残りはあります。4年のくせにブレイク対応とかライドとかで迷惑かけるし、インターやチェックは一生空振り。MDからきたくせにパスキャも下手なままでした。そしてFINAL4に行くには絶対に勝たなきゃいけなかった明治。あの目標を1年の冬に立ててから、ようやくここまできたのに、もっと練習して強くならなきゃなのに、力になるどころか足を引っ張る自分が、なにもかもが嫌になりました。なんで、どうして、がとまらなかったです。でも、明治戦の前夜に連絡してくれた人がいて、ジムに行けば隣で鍛えてる人がいて、与えられた役割を全うしようと頑張ってる人がいて、そんなみんなの存在が優勝に懸ける想いを強くさせてくれました。絶対に1点も入れさせたくなくてネトストまでして0番を知り尽くそうと日々も、マークマンの顔写真をロック画面にして闘争心を燃やしてた日々も、いい思い出です。本当にありがとう。
そして今シーズンだけじゃなく、4年間私がこんなにラクロスに夢中になれたのは、先輩、後輩、そして同期、他にも支えてくださった沢山の存在があったからです。
まず、調子がいい時も悪い時もどんな時も支えてくださった榎林さん、dr.armsのみなさん。ここに書くか迷ったけど、お世話になりすぎたので書きます。今の自分がいるのは、間違いなく榎林さんのおかげです。部活でうまく行かなくても、あそこに行けば自然と明日も頑張ろうって思えました。約3年間ありがとうございました。
そして、日本一取りたいって強く憧れを抱いた22チーム、1年の頃のなよなよな私をいつも元気づけてくれた育成、引退しても応援にきてくれる一緒にデベを乗り切った先輩方、自信も実力もなくてDBばっかする自分をフォローしてくれた24Vの4年生。そして、同期がどんどん上のチームにいってリーグや準で活躍していく中、自分もいつかはVに行くんだって希望を持たせてくれた、私を真似て髪を切った背格好が似てる先輩。追いかける背中がたくさんありました。
自分もそんな存在になりたいって思って入った25チーム。D幹になったのも、自分がVにいるからには、デベのみんなの少しでもの希望になりたい、辛いときも近くにいて背中を押してあげられる存在になりたいっていう想いがありました。でも結局日本一どころかFINAL4の景色さえ見せることができなくて、なんならみんなからたくさんパワーをもらってました。なんか疲れたって思っても、デベのみんなが頑張ってるのを見て、悩んだり苦しんでる思いを聞いて、疲れたなんていってられなくて、みんなの力になるために25シーズン終わらせられないってそう思わせてくれました。なんか生意気な人もいるけど、みんなの存在が私の原動力でした。これからも頑張ってね。
最後に同期。もう一度最後に日本一を取らせてあげたいって思わせてくれる人や、なんか一回勝手にやめようとしたくせに、今ではラクロスのせいで他のこと犠牲にしすぎな人。フィジカルとうるささは比例してるんだって思わせてくれる人たちとか、ピクニック状態って言われたり、友達じゃないよって言われても、一緒に頑張ってきた人たち、自転車仲間のご近所さん。他にもぴったりな代名詞はたくさん思い浮かびましたが、ここらへんでやめときます。言いたいのは、人数少ないのに自分にとって存在が大きすぎる同期ってことです。不憫キャラとか言われたり、話し方真似されながらみんなと過ごした4年間、楽しかった。もし今、2022年5月に戻れるとしても、ラクロス部に入ってみんなと出会いたいです。本当にありがとう。ラクロスしかしてこなかったせいで友達はみんなしかいないので、これからもお願いします。
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明日のブログは多くの後輩がお待ちかねであろう、そらです。
家が近くて、同じチームで同じポジションにもなって、自然とそらとは25シーズンの多くを一緒に過ごしました。性格や考え方、好きなものとかは全然違うけど、ラクロスや部活のこととなると似てることが多かった気がします。行き帰りの車も、今思えばラクロスの話ばっかだったね。
V幹であり、DFのリーグ経験者であり、その他諸々シゴデキだからこそ、抱えているものが多いと思って、同期の自分が分けて持てるようになろうとしましたが、気持ちだけで終わっちゃったような気がします。力になりたくてもなれないほど、超絶広い視野と先を読む力とマルチタスク力でチームのために、日本一のために、表でも裏でも動いていました。たまにウザい発言もなされますが、まあそれはスルーです。いっいっいらいら♩でも脳内で歌っとくのがコツだと学びました。
どんな時も、日本一のために動いている人が近くにいたから、私も頑張れた!本当にありがとう。
それではそらの優勝に懸ける想いどうぞっ
