
4年DFの増田そらです
思いがけずラストイヤーのバディーになったまゆこからバトンを受け取りました
毎日車で語り合い、ラクロス以外の予定を入れない生活リズムが同じで家も近すぎて、さらにはフィールドでも常に隣にいるDFバディーになり、”兄弟”と呼ばれる私達ですが、4年でまゆこがポジション転向しなかったら今の関係もないような気がします
ラクロスに対する価値観が似ていて、でもプレーに関しては意外と意見が合わなかったりもして、納得するまで長すぎる議論をして、そうやって対等に話せる同期DFがいることの幸せを、まゆこから教えてもらいました
“不憫ガール”の異名を持ちなんでいつもこうなのーと嘆いている姿を何度も見てきましたが、その多くの苦労を圧倒的に上回り振り払うような、感じさせないような、そんな着実で泥臭い徹底的な努力をできるのが強みだと思います
決めていたら私のラクロス人生ハイライトに堂々入賞していたドフリーのシュート(そらフィード) inアメリカをぶっ飛ばしたのはさすがにマイナスポイントですが、
まゆこの守備は丁寧で正しく粘り強く、責任感のあるお手本のようなプレーです
考えて研究して理想に近づけたらあの形になるんだろうなと思います
悔しいけど後輩に質問されたら自分よりまゆこの対峙を切り取って見せたくなります
運とかポテンシャルとかそういうのに任せず、自分で積み上げた実力の人です
そんなまゆことDFできて最高でした、家が遠くなっても会おうね
改めまして、慶應ラクロス部を支えてくださる皆さん、ありがとうございます
結果で恩返しをすることができず本当にごめんなさい
日本一を目指してリーグ戦に出場させてもらった3シーズン、一度もFINAL4に行くことができませんでした
そんな私がここで日本一に懸ける想いを語っても、その言葉には説得力がない気がして、もともと自分の考えを曝け出すのが苦手なこともあり、考えれば考えるほど書くのが怖くなりました
でも日本一の景色を見せることができず、FINAL4にも連れて行けず、負担ばかりを残してしまった後輩にほんの少しでも何かプラスのもの残せる可能性があるなら、という気持ちと、一生に一度の引退ブログなので「スカさない」を目標に、という気持ちで書いてみます
いまだに明治立教戦のビデオも写真も開いていないくらい思い出すことから逃げていましたが、このブログのおかげで少し4年間を振り返る機会ができました
スカすなよ、と念押してくれた後輩たちありがとう。しっかりだいぶ長いです
何考えてるか分からないと言われることが多いので、これ誰が興味あるんだろうと思いながらも、スカさないように!考えていたことを振り返ってみます。
同期より遅れて入部しついていくことに精一杯でほぼ記憶のないサマー、慶應としては異例の合同チームを組ませてもらって出場したウィンターが準優勝に終わって、チームの中にしか目が行っていなかった私は初めて他校の強さを意識しました。
決勝の相手には全く歯が立たず、慶應の中で自分が試合に出ることだけを目標にしてはいけないし、チームが勝つことはそのもっと先にあるのだと気づいて、放心状態でした。
そのときに、4年生だった先輩に「今日負けた相手は、あと3年で追い抜けばいいんだよ」という言葉をかけてもらいました。
4年の日本一は、まだ遠くて現実的じゃなくて目指して良いのかも分からなかったけど、漠然と立ち止まってたらいけないという気持ちになり、長期オフにひたすら武者に行きまくり、授業が終わったら丸子に戻るようになりました。
それからはあすなろのことで頭いっぱいで同期と勝ちたくてたまらなかったです。
でも負けると思ってなかった決勝トーナメント初戦で敗退。自分のダメなところや甘さばかりが見つかった試合でした。
この負けは、同期と勝ちたいという目標に再チャレンジできる、”4年での日本一”を目指すきっかけにもなりました。
そんなあすなろの翌日にRに上がり、2年生の準リーグ初戦でベンチ入り、2年生のリーグ4戦目の横国戦でベンチ入りしてから4年で引退するまで私はリーグ戦に出られる立ち位置にいました。
周りからは順調で羨ましがられる環境だと思います。
特に23チームではデベからリーグスタメンになり、飛躍の1年だねと言ってもらいました。
変わっていく環境についていくことに必死で、この経験をさせてもらえてる責任の重さも感じていました。
同期がいなくて心細い部活とか、たまに呼ばれるVでは絞りには入れないから立ってるだけとか、tmの鬼タイスケ(2トップはamサンケイ→pm潮風と、am潮風→pm東海湘南)とか、そんなのは贅沢で小さな悩みだと思ったし、4年で日本一を取りたいと、ちゃんと口に出して言えるようになったのもこの時期でした。
ベンチに選んでいただいてからは機会を無駄にしちゃいけないと分かっていながら、実力と3枚目という立ち位置のギャップがあまりにも大きく感じて、DFだから上がれてラッキーだとかDFは穴だと思われるのが怖くて、今年慶應が勝つには自分が去年日本一を取ったあのスタメンの先輩のレベルにならなきゃいけないんだと思い、遠すぎる背中に絶望しました。
でも全部自分が上手くなれば良い話で、解決できるのは自分だけなので、自分のことだけ考えて必死にラクロスしました。
これは2年後の日本一につながるはずだとも思いました。
そして何より、予定を1個も入れずにラクロスに没頭した横国戦から中央戦までの約1ヶ月間を楽しいと思えました。
4年生の引退をかけた中央戦でスカウティングしたATの特徴は今でも忘れないくらい頭に叩き込まれています。
リーグ期間はオフでも夕方でも丸子に行けばリーグに出てる4年生がいて、毎日その日のビデオ見をしていて、準前はRの先輩たちが自主練で集まっている姿を見せてもらいました。
それが当たり前で、あそこまでやってた先輩たちでも勝てなかった。
それを知っている私は、実力不足で結局プレーでの役割は果たせなかったけど、学んだことを活かすこと、チームメイトに伝えることが役割だと思いました。
2年生最後にスタメンを経験し、3年生はDF1枚目という場所から始まりました。
追われる立場になってからの私は、失敗することを恐れて挑戦しなくなりました。
ラクロスに時間をかけていたのは変わらなかったし頑張っているつもりだけど、変なプライドがあって、失敗しないように目立たないようにプレーしていました。情けないです。
その結果、当然試合に出る時間はどんどん短くなっていきました。
それでようやく、自分を見つめ直して、向き合うようになりました。
自分が目指しているのは「4年の日本一」でそれは2年生から変わらない気持ちでした。
それを再確認してから、環境や評価など色んなことが変化する度に落ち込んだり立ち止まったりしない、外的要因では揺るがない、そんなメンタルを持てるようになりました。
「人」はきっかけにするには最適だと思います。同期とバカ笑いしたいからグラウンドに行く。あの人と試合に出てみたいから、あいつのチームと戦う時に応援席にいたくないから、後輩が頑張ってるから練習しよう。思い返せば私が頑張ろうと思えるきっかけもだいたい人だった気がします。
でも人は変化するので、最終的な目標や1番のモチベーションにするには向いていません。
一方で「4年の日本一」は動かなくて変わらないものです。
どんなにいまプレーが上手くいかなくても、試合に出られなくなっても、嫌なことがあっても、目標にしてた人がいなくなっても、4年で日本一取れなくなったわけじゃなくて、そこからまた日本一を取る道筋を考え直すことができます。
何かあっても、最後に日本一取れればいいやと思えるようになりました。
4年生ラストシーズンは、リーグ期について書けるほどまだ整理できていないのでV幹として考えていたことを書きます。
幹部としての目標はVのメンバーに「はにゃ?」と思わせないことでした。
グラウンドで何してるかよく分からなくなるとか、誰かだけ先に知っている情報があるとか、V幹内で認識のズレがあるとか、予定決めるのが遅いとか、参加チームわからなくて夜中に部荷物引き継ぐとか、みんなが最大の力を発揮するチームになるには、そういう防げる居心地の悪さをできるだけなくすことが大切だと思いました。
そのためなら超ドPの私が前もっていろんなことを考えられました。
でももちろんできなかったことも沢山あって、いじり上手な後輩たちにも沢山支えてもらいました。
そしてV幹で1枚目という立場上、自分の行動のひとつひとつがDFチームの雰囲気、伸び、レベルの高さにつながると自覚していたので、DF陣との関わり方には特に気を付けていました。
2年間同期のいないトップチームのDFGチームにいて苦しいこともしてもらって嬉しかったことも、学んだことを全部活かしたい。
そのためにV幹をやると実は幹部決めの時から意気込んでいました。
あれは意図的だったんだ、と答え合わせされると恥ずかしいのであまり例は書かないけど、一方的にならないよう「どうしたらよかったかな?」と聞く回数を増やすとか、人によってアプローチの仕方を変えてみるとか、そんな感じのことをしてました。
ほぼ喋ったことないさえちほと3人で始まって、今までやってきたゾーンが使えなくなった時はだいぶ不安だったけど、控えめすぎてテントに入れず日向で振り返りしても、議論が長すぎてビデオ見進まなくても、どんどんみんなが頼もしくなっていって、意見を言うようになって、ブロックの中で失点数最小に抑えられるDFチームになれて嬉しい、もっとみんなとプレーしたかった。

4年間で見つけた私なりの正解というか、良かったかなと思うことは、
自分が納得する自分なりのやり方を見つけることです。
ラクロス部には色んな人がいます。
価値観、好きなこと、考え方、長所や短所などバラバラです。
それをみんな同じにすることはできないしする必要もないと理解した上で、だからこそ、誰かの真似だけじゃ上手くいかなくて、自分なりのベストをみんなが見つけて最大の力を発揮することができたら結果としてチームは最高のレベルになります。
例えば、私は2年から4年の3年間、誰にも負けないと自信を持てるくらい他チームに行きました。
長かったVtm期間はハシゴできる全てのVR練習に参加して、同期であるD、2年後に一緒に日本一を目指すFも全チームの予定をカレンダーに入れました。育成だった1年間は、どんな予定よりもFに行くことを選びました。
コミュニケーションが得意じゃないけど時間を使うことはできたから、
早く一緒にプレーしたくて練試のMVPが同期DFGばっかり並んでたら嬉しくてスクショしちゃうくらい実は思い入れのある同期DFGや、
25チームで一緒に日本一を目指すF、一緒に準リーグに出るRに行って、
少しずつ話して、一緒にプレーして、仲良くなったりすることで、先輩に来てもらった時に自分が感じたのと同じように、みんなにも想いが伝わったらいいし、日本一を目指すためのチームを作ること、応援し合える慶應になることに繋がったら良いなと思っていました。(もちろん練習機会としても捉えていました)
私じゃなかったら、もっと少ない回数でもっと効果を得られたかもしれないし、周りくどくて超非効率に見えるかもしれないけど、私にできる、そして私が納得できる方法はこれでした。
勉強就活プライベートとバランス取って効率良く切り替えることも苦手でした。
意志が弱くて上手く管理できないからこそ、マイルールを決める。
これだけはやるって決めたことは絶対にやるというルールで自分を縛ることで管理する。それができたら、自分で自分を評価できるし、自信につながったし、頑張ることが楽になりました。
やるかやらないか迷ったらやる。遅刻欠席をしない。どんな日も自主練をする。ジムに週に何回行く。飲まない。ラントレは絶対先頭で走る。とか。もっと軽くても良いけど、ルールを破ったら自分を裏切ることになるし、1度破ったら次も破ってしまうから破らない。
やりたくないけどやらなきゃだーと思って辛いことも、やらなかった自分が嫌になることもなくなって、そう決まってるから無条件にやるしかない。というのが私には向いているやり方でした。
他の人から見たらめっちゃ変でも、自分にとっては納得できてやりやすくて、ストレスがなくて、そういう自分だけの正義みたいのをみんなが見つけることができたら良いんじゃないかなーという気がします。
常に正解の行動をすることはできないけど、間違えるたびに落ち込んでいたら時間がもったいない。
間違えたなら尚更、立ち止まってないで取り返さないといけないし、自分でそれを正解にしていくしかないのかなって思います。
ただ、こんなに偉そうなことを言っても、私の頑張りは足りませんでした。
あと1点だったけど、全然惜しくもなくて、日本一にはなれない実力でした。
頑張りというのは、時間だけじゃなくて、質、メンタル、環境とかを含めたものです。
これじゃ足りないし、何かが違うんです。
マイルールが甘かったかもしれないし、練習の仕方が良くなかったかもしれない。
やってるつもりだけど、もっとできたことがあったはずです。
だから、来年があるみんなは、自分で天井を決めつけないで、できることを考え続けられたら良いなと思います。
これじゃ勝てないんだって教訓にしてください。
長々と書いてきましたが、どんなにパソコンに向き合っても終わりが見えなくて、何か足りないような気がしてしまいます。
私のラクロスライフを1つのブログにして完結させてしまうのが怖いのかもしれません。
もっと考えたことはあるはずだけど、今の私には言葉にするのが難しいのでこの辺にします。
ここからは感謝のメッセージコーナーです
つまらないと思うので飛ばしてください
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます
同期へ
シャイで人数が少ないけど安心感があって、気を張らなくても受け入れてくれる、
普段は後輩だらけのチームでそれぞれが頑張っているけど、みんなの前だけは力を抜いて素でいられる、そんな関係が好きです
全員幹部で、誰もがいなかったら部が回らない役割を担っていて
“少数精鋭”と言ってもらえる自慢の同期とラクロスできて幸せでした
育成
自分が育成をやったからこそ、今は先輩たちの凄さが痛いほどわかるし本当に大きなものをもらっていたけどそれに気付くのが遅かったなと思います
ありがたさに気付けず当たり前だと思っていた頃の言動と、結果で恩返しできなかったことが申し訳ないです
でも私が育成を妥協せずやりたいと思えたのはしてもらったおかげだと思うし、確実に育成イズムは浸透していて、先輩方のお陰で少ないけど全員ラクロス上手くて全員幹部ができる、少数精鋭代と呼ばれるうちらになりました
入部の背中を押してくれて、毎日グラウンドに来て私達にラクロスを教えてくれて、ずっと気にかけてくれてありがとうございました
先輩方
ひとりぼっちの私に沢山話しかけてくれた23R、4年生の自覚と本気を常に背中で見せてくれた23V、笑顔が絶えない楽しいチームを作ってくれた24Vの先輩
かけてくれた言葉、連絡くださったこと、見せてくれた背中に大きな影響を受けました
本当にたくさんのいただいたものを、自分だけで留めておくわけにはいかないと思い、今までの人生ほとんど後輩と喋ったことがなかった私が後輩のことを沢山考えるようになりました。ありがとうございます
キッズへ
最初は全員と対等に接したいという思いと、4人の中で「厳しいことも言う担当」(笑)と決めていたことからなかなか距離を詰められずにいて、これだとまずいと思ったし、とっつきにくい先輩な自覚があったので、途中からは丸子に行ったら手当たり次第育成代に話しかけるようになりました
後トレのグループとかも意識して組むようにしてたら「そらさんうちらしか友達いないの?」と言われ始め、当時はわざとだよ!!と思ってましたが気付いたら意識しなくても、素でみんなと喋りたいと思うようになってましたねーびっくり
新人戦優勝の景色を見せてくれて
あすなろ終わってからも25全層優勝を一緒に目指せるのが嬉しいって言ってくれて
いつも原動力でいてくれてありがとう
伝えたいことは伝えてきたつもりです
考えることから逃げないこと。人数の多さを良い武器にすること。2年後の日本一。
これからのみんなが楽しみ
(長くなると3年生に怒られるのでこの辺にします)
コーチの方々
最強コーチ陣のもとでラクロスができて幸せでした
必要な時には必要な言葉をかけてくれて、気づけていないことに気付けるヒントをくれて、自分の頭で考えること、最後に頑張るのは自分ということ、やってみないと発見も進歩もないということを学びました
ありがとうございました
ベンチメンバーに入ったりチーム分けが上がったりする度に連絡をくれる先輩、
私が日本一なんて遠すぎて考えられなかった時から一緒に日本一のGとDFになろうと言い続けてくれた同期、
何回負けても懲りずに自主練ポイント競争に挑んでくる人、
毎日自主練しようねとか日本一の育成にしたいって言ってくれる後輩、
貪欲にできることを探し続けてくれるスタッフ陣、
誘いを断り続けても、夏は会えない!とか言って冬しか出没しなくても、理解してくれて応援してくれて懲りずに連絡してくれる友達、
愉快でアツい他大ラクロッサーたち、
やりたいだけラクロスができる環境を与えてくれた家族、
人に恵まれた4年間でした、沢山支えてくれてありがとうございました
次は待ちに待った世界の秋山美里です
みりとは同じチームで3シーズン練習して、育成・V幹と2年間一緒にチーム幹部を務めました。なのでみりとLINEをしなかった日はほとんどなかった気がするし、みりとだから妥協しない幹部人生が送れました
みりカーに乗せてもらって2人でVの練習に行っていた時期、VFハシゴしていた時期もありました、懐かしい
ラクロススキルのすごさは誰もが知っているので特記しませんが、みりはエースとしてチームの誰にも相談できない大きなもの背負ってくれていたと思います
1年生から学生王者に輝き、世代トップレベルのみりがいながらもし日本一になれなかったら、それは周りの自分たちはがあまりにも無力すぎると思ったし、4年でもう1回日本一を獲りたいと言っているみりを日本一にしなきゃいけないと思わせもらいました
日本一なれなくてごめん、偉大なエースでいてくれてありがとう
赤ちゃんなので早く寝ちゃうことだけは困りますが、執拗に踏み込んではこないけど真剣に話したいことはとことん聞いてくれて意見もくれる、いかついビジュアルだけど接しやすいところが心地よくて好きです
あと、やらなきゃいけないと思ってることは、面倒だったり人が嫌がることもちゃんとやります
人に左右されないブレない芯があって、違うことは違うと言える強さを持っている人です
ギャップ大臣真っ黒赤ちゃんのブログお楽しみに!
