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【優勝に懸ける想い2025 Vol.5】〜秋山美里(4年/環境情報学部/#03/AT)〜

【優勝に懸ける想い2025 Vol.5】〜秋山美里(4年/環境情報学部/#03/AT)〜

そらから回って来ました、4年ATの秋山美里(みり)です。

そらとは1年生のウィンター幹部からあすなろ幹部、育成、V幹と気づいたらずっと同じ幹部をしていました。そらは”シゴデキ”という言葉がピッタリで、常に先の事を考えて行動していて、一緒に幹部をしていて何度救われたか分かりません。
育成をしていた頃は、VF両方の練習に行っていて顔を見なかった日はなかったのではないかと思うくらい毎日を必死で駆け抜けていたね。
私が代表活動で幹部の仕事ができない時などは嫌な顔せずに代わりに仕事をしてくれて本当にありがとう。

プレー面でもとても頼もしく、ルール変更でゾーンからマンツーになったにも関わらず、鉄壁のDFを作り上げてくれました。最強DFだったのに点を全然決められなくてごめんね。でもシュートを決めた時、持ち前の瞬足で誰よりも早く駆け寄ってきてくれたのすごく嬉しかったよ。

そらと同じチームでラクロスをして全力で駆け抜けた3年間は辛いことも多かったけどとても楽しかったです。幹部としてなのか、そらの頑張りを知っているからなのか、予選敗退が決まってそらの泣いている姿を見ると私も涙が止まりませんでした。

とりあえず、定期的にV幹会して会おうね。

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“優勝に懸ける想い”という名の引退ブログ。
何を書こうかとても悩みました。当たり障りのない文章を書くつもりでしたが、同期や後輩から「そんなものは要らない、みりがあの時何を思っていたのか知りたい」と強く言われました。引退ブログを書く機会はもう二度とないと思うので、10年間の学生ラクロスの集大成の意味を込めて書こうと思います。

10年間という人生の約半分をラクロスに捧げてきたのでとても長い文章になってしまいました。文章を書く事もあまり得意ではなく、まとまりのないブログになってしまったのでお時間がある時に読んでみてください。

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学生日本一、ブロック3位、ブロック3位、ブロック4位。

日本一を獲った1年生から一転、2年生からの3年間は「日本一」どころかfinal4にも進出できず、戦績は右肩下がりでした。

日本一や日本代表を経験したことは、私の中で大きなプライドになった。でも同時に、そのプライドは1年生からリーグ戦に出ている身としてチームを導かないといけない、重たい責任になっていました。

「日本一を知っている自分がチームを勝たせなきゃいけない」
「自分がシュートを決めなきゃ試合に勝てない」

そう思えば思うほど
今まで大好きだったラクロスが次第に楽しくなくて、つまらなくて、結果もついてこなくて。
練習を重ねるごとに理想のプレーとはかけ離れていく気がして、次第にみんなの事が信頼できなくなって、そんな事を思ってしまう自分も嫌で、
どうしたら勝てるのだろうと考える度に正解が分からなくなって、自分のプレーも中途半端になって、自信を失う、負のループに陥りました。
この3年間、純粋にラクロスを楽しめる時間なんてなかった。今振り返るとそう思います。
エースとしての責任を果たすために必死になってもがいて来たけど、結局は自分のプライドを守る為だったのかもしれません。

24チームの日体戦、2年連続でfinal4への道が閉ざされた時、自分の中の糸が切れました。

あともう一年頑張れない。本気でそう思いました。
初めてラクロスから逃げたい、部活に行きたくないって思ったし、シューアップ中に突然涙が溢れてくる時もありました。

けど、お世辞かもしれないけど同期が「みりの為に日本一を獲りたい」って言ってくれて、その一言があったからあと1年頑張ろうと決心しました。

25チームが始まってから立てた目標は『妥協しない』
24チームで妥協してラクロスをしてしまった自分に後悔をしているからこの目標を立てました。チームの中で唯一私が日本一を経験した人で、final4もその先の戦いの厳しさを知っているからこそ、OFには厳しい言葉を掛け続けてしまいました。もちろんそれは勝ちたかったのもあるけど、それ以上にみんなに期待していたから。このチームが持つポテンシャルを信じていたから、妥協して負けたくなかったから、プレー面でみんなに沢山要求し続けました。25Vは試合を重ねるごとに確実に力をつけていたし、成長していました。だからこそもっとみんなと試合したかったし、日本一の景色を見たかった。

でも、正直に言うと自分はメンタル的に限界が来ていました。
試合はほとんどシャットされていて、ボールも自由に触らせてもらえない。そうなるとフィールドに立ってる存在意義が分からなくなる。数回のボールに触れたチャンスで打ったシュートは一本も入らない。
「自分のせいでまた負ける」
シュートを決めるべき人が決めれない、みんなに申し訳なくなった。
結局、2年生から同じことを繰り返し続けて、勝利に導く強い選手にはなれなかったなって。抱えていたエースとしての重圧は年々重くのしかかっていて、それを認識していたはずなのに、贅沢な悩みだからって誰にも何も言えなかったのが一番辛かった。周りの期待と何もできない自分のギャップに嫌気が差していた。
final4に行けないのが確定した立教戦、こんなこと言っちゃダメなのはわかってるけど試合が終わって、勝ちたかったし悔しかったけど、もうここでラクロスしなくていいんだってプレッシャーから解き放たれて安心している自分もいました。

「エースの責任」という呪縛が解けた後の練試やアメリカ遠征、なんだか久しぶりにラクロス楽しいって思える瞬間がありました。
勝たなきゃ、シュート決めなきゃという使命感がない中で、ただひたすらボールを追いかけて、1on1してシュートを打って。ラクロスをする上で当たり前の事かもしれないけどそのプレーひとつ一つが純粋に楽しくて、やっぱりラクロスが好きだなって思いました。

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私は大学ラクロスと並行して日本代表活動にも参加させていただきました。
中学生の時からの目標だったU20をはじめ大陸予選、25フル代表。

U20では史上初の銅メダル、大陸予選ではオーストラリアを破って金メダル獲得。
どの代表も練習は身体的にも精神的にもキツくてついて行くのに必死になった時もあったけど、私にとってかけがえのない時間で、目標を達成できた瞬間の景色は今でも鮮明に覚えています。

特にU20は中学生の時からの夢でありずっと目標にしていた場所でした。この舞台に立つ為に今までラクロスを頑張ってきたと胸を張って言えるくらい人生の中で大きな意味を持つ経験です。
今でもライラックを聞くと香港で過ごした濃い2週間を思い出すし、U20の仲間に会えるととても嬉しく、みんなが私の原動力でした。
大陸予選、25フル代表は自分の未熟さと世界との壁を痛感したと共に、「ラクロスうまくなりたい」とシンプルだけど強い衝撃を与えてくれました。
この感情があったからこそ、あの苦しい時期でもラクロスを続けてこれたし、これからも続ける理由なんだと思います。

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ここまで長々と書いてきましたが、未来を担う後輩に向けて参考になるかわからないけど、10年間のラクロス生活で学んだ事・感じた事を伝えられたらと思います。

1.外の世界を知る

慶應は人数が多い分、良い意味でも悪い意味でも慶應内で完結してしまう所があると思います。でも、試合で戦う相手は慶應の外にいます。
自分達の「当たり前じゃない」と思っていることが他のチームでは当たり前かもしれない。慶應内に留まっているだけじゃそれを知ることはできないし、試合で対戦して初めて知ることになります。

外の世界を知る為に出来る事は沢山あると思います。武者やゲーム大会に行く、試合を見に行く、アメリカのYouTubeみる、他大の子と自主練する。シューターなら色々なタイプのゴーリーとシュー練する。
自分の世界を広げること、慶應の外に一歩踏み出してみること。
勇気が必要かもしれないけど、それがきっと自分の成長にもチームの成長にも繋がると思います。

25Vで最後に行ったアメリカ遠征。外の世界を知る良いきっかけにもなったと思うし、後輩たちにはアメリカで感じた「精度」と「強度」を当たり前にしてほしいなって思います。

2.自信を持ってプレーするには

試合で自信を持ってプレーするには、
”徹底して準備をして不安をなくす事”に尽きます。
試合という極限の状況の中では「下意識」のレベルまで達したプレー(=習慣化するまで練習したプレー)しか通用しないし、それ程度のパフォーマンスしか出せません。試合中に不安になったり迷ったりするのは、練習量・準備量が「下意識」にまで達していなかった証拠。

自信は結果から生まれるものではなく、「これだけやって来たから大丈夫」と自分を信じられる「根拠のある自信」こそが本物です。
そして、ラクロスはチームスポーツ。自分を信じること以上にチームを信じられるかも勝敗に関わる重要な要素だと思います。
この「根拠のある自信」と「仲間への信頼」は、毎日の地道な準備からしか生まれません。試合の日、自分とチームを信じてプレーできるように日々の練習を大切にしてほしいです。

3.自分で考える事

ラクロスは正解が一つじゃないのが魅力のスポーツ。
今年1年間のOFの正解は全て自分に求められているような気がしていました。正解なんてみんなで見つけるもののはずなのに。正解を求められるのが苦痛で、もっと自分で考えて欲しかったし、議論しあってチームとしての正解を見つけたかった。この議論しあって試行錯誤をする過程にこそ価値があると思います。

コーチはあくまでアドバイスをくれる存在。実際にフィールドに立ってプレーするのは自分達自身。自分達でどうすればもっと良くなるかを常に問い続けて、導き出した答えは確実にチームの力になるし、苦しい試合の中でも自分達で状況を打開し、乗り越えていくための武器になるはずです。

HFO,HFDのセット系だけではなく、自主練においても「どうしたらうまくなれるか」を自分で考えることが成長の鍵。ただがむしゃらに数をこなすのではなく、”質と量”その両方を意識することが上達への近道で、習慣化することで根拠のある自信に繋がります。

もっと他に感じていた事は沢山あるけど、私がラクロスをする上で大切にしていた軸はこの3つです。26チームもそれ以降も自分と仲間を信じて、沢山挑戦してほしいです。そして、私たちが成し遂げられなかった「日本一」の景色を見られると信じています。ずっとずっと応援しています。

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最後に、この10年間のラクロス人生に関わってくださった方へ感謝を伝えたいと思います。

・同期
19人の少数精鋭で個性が強くて、誰よりもチーム想いなこの学年の一員になれたこと、本当に誇りに思います。1年生の頃、ひとりだけばーしでみんなと仲良くなれるか不安だったけど、そんな心配は不要でした。年を重ねるごとにリーグ戦のフィールド上には同期の姿が増えて、心強かったです。
毎日当たり前のように顔を合わせて、練習して、ご飯を食べて。そんな日々がもう終わってしまったと思うと寂しいです。みんなと過ごした4年間はかけがえの無い宝物です。4年間ありがとう。これからもよろしくね

・25Varsity
1年間ついて来てくれてありがとう。V幹として、チームをまとめる難しさとやりがいを感じた1年でした。辛い思いをさせてしまった時期もありました。ごめんなさい
それでも最後まで信じてついて来てくれてきたこと、感謝しています。
下級生ズはこれからも頑張ってね。みんななら大丈夫だと信じています。

・V4年生
みんながいたからこの1年間頑張れました。
嬉しい時も、悔しい時も、辛くて涙が止まらない時も、隣にはいつもみんながいました。
こんなに心強くて、信頼できて、支え合える存在は後にも先にもみんなだけです。
1年間同じチームでラクロスしてくれてありがとう。

・先輩方
かっこ良くて背中を追い続けた22V
死力で戦うことを教えてくれた23V
このチームで勝ちたいと思わせてくれた24V
先輩方の姿を見て、唯一無二の”慶應ラクロス”を学べました。偉大な先輩方の背中を追い続けた3年間は幸せでした。
いつも応援してくださり、気にかけてくださりありがとうございました。もう一度トロフィーを持って日本一をとりましたって報告したかったです。

・24freshmen
24Fの育成ができて良かった。最高の育成にしてくれてありがとう。
人数が多すぎて最初はどうなることかと思ったけど、みんなの頑張る姿に刺激を貰っていました。それぞれのステージで活躍しているみんなを誇りに思います。あと2年のラクロス部生活、あっという間だからみんなで仲良く楽しんでね。

・コーチの方々
私の知らないラクロスを教えてくださり、沢山信頼してくださりありがとうございました。思ったような成績を残す事はできなかったけど、慶應でするラクロスが一番ワクワクするし、ラクロスは楽しむものだと教えてもらったような気がします。慶應でラクロスできて幸せでした。まだラクロスは続けるつもりなので見守っていていただけると嬉しいです。

・家族
面と向かって伝えるのは恥ずかしいから、この場をお借りして感謝を伝えます。
10年間のラクロス生活を支えてくれてありがとうございました。試合で負けた時は無口で何も話も聞かないような私を見守ってくれて、中2から試合はほぼ皆勤賞で来てくれて沢山応援してくれてありがとう。どんな時も味方でいてくれたからここまでラクロスを続けてこれました。

・ゆら、あだち、みのり
慶應ラクロス部に入って来てくれて本当にありがとう。まさか9年も同じチームでラクロスすると思ってなかったよ
一緒に試合に出られた時は嬉しかったのもあるけど、なんだか感慨深い気持ちになりました。
ゆらあだちはあと1年、みのりんはあと2年がんばってね。AQUA会しようね

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次のブログはAT buddyの#88あんです。

あんとは2年生から同じチームでプレーしていて、顔を見ればどんなプレーをしたいか分かるくらい沢山一緒に練習しました。試合では、キレキレの1on1と鋭いシュートで会場を沸かせ、何度も苦しい場面を救ってくれました。このブログを書くために過去の試合写真を見ていたら、どの写真にも必ず隣にはあんちゃんがいました。

普段は、あやこと盛り上げ隊長兼同期会の計画係をしてくれています(これからもよろしくね!)。いつも持ち前の明るさでチームの雰囲気を盛り上げてくれるムードメーカーで、あんがいるだけでチーム全体が明るくなる存在でした。
今年の合宿、部屋が全部一緒でした。夜まで喋り通してたあんちゃん、先に寝てごめんね!

3年間一緒にAT buddyとしてプレーしてくれてありがとう。あんフィードからのシュートが一番好きでした。選手紹介の時、あんとハイタッチすると気合い入ったし、あんがいたから私も頑張らなきゃって思わせられました。プレー面でも精神面でも沢山支えられました。

なんだかんだ引退してからも丸子にいくとあんちゃんがいます。目が合うと「みーたん」と駆け寄って来てくれてハグをしてくれます。嬉しいですね☺︎

そんなあんちゃんの”優勝に懸ける想い”、お楽しみに!

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