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【優勝に懸ける想い2025 Vol.7】〜中原杏菜(4年/環境情報学部/#12/G)〜

【優勝に懸ける想い2025 Vol.7】〜中原杏菜(4年/環境情報学部/#12/G)〜

あんちゃんから回ってきました、4年のGの中原杏菜(あんな)です。

あんちゃんは、私がまだガリガリ骸骨ゴーリーの時代からオフの日もシュー練に付き合ってくれたり、栄養スプーンを福井で売る出張にも何故か付いてきて(ありがとう)くれたフッ軽体力ばけもんガールです

コロナで大会も練習も殆ど無かったからラクロス経験者って言わないでほしいんだよねとハードルを下げときながらその後あっという間にトップチームに駆け上がっていき、気づいたら早慶戦でハットトリック決めてました。

一見すんなりエリートコースに見えるあんちゃんですが、1年生の頃とかは色々悩んで泣いてた姿を覚えています。
下級生で上のチームに上がった分、私には想像もできない大変さが沢山あったはずだけど、そんな弱さは一切見せずに、試合ではいつも大事な決定打を決める姿を見て、ほんと、なんてかっこいいんだ、と思ってました。

こんなかっこいい同期がいたから、私もここに立ちたい、この人たちと日本1獲りたい、と夢を持てるようになりました。
たくさん、ありがとう。

これからも色んなとこ行こうね、もかちゃんにもお会いしたい

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さ何を書こう

正直みんなのブログがあまりにも素敵すぎてだんだん泣き疲れてきました。
泣ける文章は書けないし、似たような話を書いてもなあと思って、私にしか伝えられないことって何だろうと考えていたのですが、1個、多分これ私だけかもっていうこと見つけました。

1.2年生の頃にRやVに昇格したラクロス経験者やいわばエリートコース的なひとたちが大半を占めるVarsityチームにおいて、Freshmen→Development→Reserve→Varsityを全てフルコースで辿ってきた選手は私だけでした。

おかげで、
長い間くすぶってそれでも上を目指して走り続ける選手たちが抱える想いも、
多くの人からエリートコースと思われている立場の選手たちが裏で抱える想いも、
色んな立場のひとがそれぞれ抱えている覚悟と葛藤の存在を知りました。

同時に、私みたいに何ら特別じゃないフルコースのひとでもトップチームに行くことができて、リーグで活躍することができて、最終的には日本1を獲らせるゴーリーにまで登り詰められる、というのを証明したいと思った。
というか、そう自分を信じ込ませないとやってられなかった。ほんの少しでも気を抜けば崖から落ちてしまうような立場だなと思ってたから、その怖さが目に入らないくらいラクロスに夢中になればいいなと、自分の全てを犠牲にしてでもラクロスに懸ける覚悟を持つことにしました。

どんなに上手くいかなくても評価されなくても、一旦不安や焦りには徹底的に蓋をする。自分がリーグの舞台に立ち日本1を獲りに行くその姿を常に想像して、「日本1を獲らせるゴーリー」にどうしたらなれるかということに執着し続けました。
そもそもトップチームに行けるかどうかすら分からないときもリーグに出れるか分からない時も全然シュートが止められなくなったときも試合に出れないときも「25チームで日本1を獲る」と、自分にも同期にもチームでも大口を叩いてきました。自分の身の丈に合わせて謙虚に居る方が気持ちは楽になったのかもしれないけれど、ビックマウスで自分にプレッシャーを掛けた方が、言霊的なかんじでなんだか実現しそうな気がしました。

この習慣のおかげで、何度も個人的修羅場を乗り越えられました。
24チームで千穂がVに昇格した時点で私のフルコースは確定してたのですが、そのときも焦りとか不安とかじゃなくて『来年25チームで絶対日本1を獲らせるゴーリーになる』なんてことを考えていました。
翌年25チーム早慶戦の2か月前、六大学戦でVのベンチから外されてこのままチーム落とされそうな勢いで干されてたときも、「リーグで日本1獲るのがゴールだから、そこで日本1獲らせるゴーリーになれればいいから、そのための練習と準備をしよう」と目の前のやるべきことに集中することができました。

とはいっても、どんだけ練習しても上手くいかず伸び悩んで自分の可能性が信じられなくなりそうな時も何度もあって、そういうとき、25チームであんなと日本1獲りたいから頑張ると言って信じてくれる同期が居て、そのたびに頑張る力をくれました。

そして単純に、どうしても日本1の景色を見たかった。日本1の景色はどんなもんなんだろうという好奇心と、大学生活で他に挑戦したいことが他にも沢山あったなかでそれを全て捨ててでもラクロスに賭けると決めたからには絶対に日本1の景色を見ないと気が済まないという気持ちで、ただただ上手くなりたくて必死でした。そして最後の1年は、この人たちと日本1獲りたい、もっと一緒にラクロスしたいと思って必死でした。

ラクロスに集中するために、結果を出すために、何だって犠牲にできる、そんな感じでした。みんなが楽しそうにはま寿司行くのを横目に正直羨ましいと思いながらもアフターに残り続けた日も、友達や家族との予定を全て断ってシュー練するオフの日も、それ以上にラクロスを頑張りたいラクロスが楽しいと思わせてくれたひとたちが居たからだと思います。皆様への感謝の言葉は最後に書かせてください。

私は、今からちょうど1年前、3年生の秋にはOneDayCupに出場していて、準リーグにも出たことが無くて、でもその数か月後の早慶戦2週間前にベンチ入りしてそのままリーグに出場する機会がやってきました。
チャンスは突然やってきて、今までどれだけ準備してきたかが突然試されます。大久保さんは、よく見ています。そして、ここぞというタイミングでチャンスをポイっと投げてきます。試合とかだけじゃなくて、毎日の練習にもチャンスは転がっていて、その一つ一つをどれだけ着実に拾っていくかが大事だなと思います。と流れ的にそれっぽいことを書いてしまいましたが、そんなことより、チャンスを掴まなきゃとか力まずに、憧れの選手の技を真似して練習してみたり、やってみたいプレーに挑戦してみたり、とにかくラクロスを思いっきり楽しんで夢中になれたらいいんじゃないかと思います。

何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、
とにかく、どんなにどん底に落ちても、信じて高みを目指し続ければ、わんちゃんいけるってことです。
綺麗ごとではなく、本当に自分次第で、想像以上の結果が得られる。

そして、1-3年生の皆はこれから少なくとも1年以上は時間があるわけだから、自分の覚悟と行動次第で、本当になににでもなれるとまじで思います。私はふぃあさんやまなさんをはじめ多くの先輩方の背中をみて、目標のために必要な要素を網羅的に叩き出して必要な努力を最大限していれば目標に到達できると信じられるようになりました。
でもその覚悟と行動は全て一つ一つの積み重ねなので、どんな状況であれ「今日はいいや」という妥協を1度も許さないことが重要だということも同時に学びました。

頑張りたいけど自分を信じられないひと不安があるひと、困ったらいつでもわたしに連絡してください。

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ここからは4年間を順を追って振り返りつつ、私は準リーグにも出させていただくので、そこへの想いも書いてみます。

ひょんなことからラクロス部に入部し、ただでさえ6月入部で皆よりスタートが遅れているのに、フィジカルは誰よりもガリガリ💀だったので最初の半年くらいは皆の練習に付いていくだけで必死でした。(当時のゴーリーセレクションの動画に居る私まじでカマキリみたいでキモすぎて見てられません。なぜ選ばれたのでしょう)

今はフィジ幹として200・50の時も40秒を切れだの叫んでる私ですが、当時はGBメニューだけで肺が持たず嘔吐して江田の更衣室で寝かせられてました。
ゴーリーの練習が始まっても、私は出来ないことばかり。何をやっても下手くそで悔しくて、毎日夜パパを公園に付き合わせる自主練が日課になりました。
あと、今ではだいすきな貴一さんのことが当時は何故か怖くて怯えてて、でもどうにか仲良くなりたかったので毎日のように丸子に呼び出して特訓してもらってたら、どこまでも熱く向き合ってくれて、なぜ怖がってたのか分からないくらいめちゃくちゃいいひとでした。
ビックマウスのくせに小心者で自信が無いから、部活で自信を持ってプレーするために部活以外の時間でさんざん自主練して準備を重ねることでようやくマウント感を持って挑戦的なプレーができるんだということを学びました。

当時自分なりに頑張ってるつもりでしたが、私のバディーふぃあさんは努力に限界なんぞ無いことを教えてくれました。
誰もが知るとんでも努力家のふぃあさんですがブログには、どんだけ頑張ったと思ってもるなさんの努力には敵わない、と書いてありました。
部活後何時間もアフターして代表練やジムに行ってそこから夜中に5キロ走って翌朝普通に部活に来てまたアフターしてる、リーグ戦で華々しく輝く先輩たちの裏にはそんな愚直な努力があることをその時私は初めて知って、自分の努力がちっぽけで恥ずかしくなってブログを読み終わった深夜1時そのまま家を飛び出して5キロ走ってみました。そこからランニングも日課に追加して次第に体力も付いてきて、足の速さを活かせるようになってきました。コーチングもさっぱり訳わかんなくて、とにかく何も分からないのでビデオ見一緒にしてほしいですって先輩や同期にやたら連絡して付き合ってもらいました。
皆死ぬ気でラクロスに向き合ってて自分のことでも大変なはずなのに、本当に面倒見がよくて優しくて熱いひとたちに恵まれて、ラクロスの面白さ・ラクロスに捧げる楽しさを教えてもらいました。

そんなこんなでお水メンタルがお豆腐メンタルくらいには成長したのが1年生の1年間。
そらのブログにも書いてありましたが、わたしもウィンターやあすなろで初めて他校との勝負を意識するようになりました。ウィンターの決勝で日体にボコボコにされたのが悔しくて、スマホのロック画面を日体が優勝して喜んでる画像にしてました。
他校の先輩を誘ってシュー練したり、武者に行きまくって常連と化したり、他校の練習会どこに行っても居るねと笑われるほど全ての機会に参加するようにしました。慶應内でどれだけ強くなっても試合で勝たなければいけない相手は他校なので、どんどん他校の環境にも飛び込んでいくべきだと強く感じました。

2.3年生の頃は、ちほが上がってきたり結衣と相変わらずバチバチしたり初めて先輩と練習するようになったりチーム内のモチベーション差が難しかったり色々あったけど、この2年間でお豆腐メンタルにも覚悟が生まれて、3年生の頃には来年自分たちの代で絶対に日本1を獲りたい、その日本1を獲らせられる強いゴーリーに何としてでもなる、と心を決めていました。

途中どんだけ調子が上がらなくても4年生の最後にリーグで輝けば勝ちだなとか思えるようになったのも2-3年生の頃です。
3年生の時は、DFなのに何故か毎オフシュートを打ちたがってくる先輩を筆頭に先輩たちと倉庫前グラウンドに入り浸っていました。素敵な先輩たちに恵まれました。

ついに始まった25チームは、Vゴーリー3枚。
アフターでゴール1台、3人で順番に入ってシュート受けてる時、もう15時とかでもう全員まじで帰りたいのに、誰も終わりにしようと言わず帰りたいとも言わずに、気合いだけでひたすらシュートを受け続けた日々が忘れられません。
3人ともラクロスに妥協しないプライドの高いやつばっかなのでなんだか疲れる時もあったけど、これってかなり幸せな関係性だと思います。
これは二人にも伝えてるけど、変に譲らず妥協せずバチバチできる関係性って貴重だし尊いものだと思ってます。

ゴーリーというポジションは、フィールドに1人しか立てない、リーグのベンチにも2人しか入れない、しかも一度決まると入れ替えがあまり激しくない、フィールドでは勝敗を決定づけるシュートの運命を任せられる特殊なポジションです。
今までの先輩方を見てきても、平和で優しい朗らかな関係性で勝負できるような世界ではないし、多少バチバチしてでも譲れないプライドや上手くなりたいという強い想いがせめぎ合ってるくらいの方が相互作用で強くなれると思います。一方で、ゴーリーにしか分からない苦悩と強い想いを共有してるからこそ、誰よりも応援できて分かり合える関係性でもある、不思議な関係です。ふしぎ

あと、試合に出れないときも「リーグで日本1取る」と強い心で居た的なこと上の方に書いちゃったんですけどそういえば心折れそうなとき全然ありました、ラクロスに集中するために悲しい記憶は抹消してたのでこれも忘れてました。

早慶戦ベンチ入りしたものの1分も出れなかった日、勝つためにチームでめちゃくちゃ準備してきて勝ったので本当に嬉しかった、千穂が大活躍してて嬉しかった、MVPとって誇らしかったし嬉しくておめでとうって言いました。帰り道に1人になった瞬間、急に涙が止まらなくなりました。なんかもう頭がおかしくなりそうでぜんぜん家まで辿り着けなくて、結局打ち上げ間に合わなくて二次会から行きました。情けないとも違う、悔しいとも違う、得体のしれない重苦しい気持ちが1人になった瞬間爆発してしまいました。早慶戦に1分も出れない自分がここからリーグ期にどうやって「日本1を獲らせるゴーリー」になれるんだろう?やるしかないけど、分かってるけど、ずっと蓋して抑え込んでた不安や焦りが初めて溢れてしまったんだと思います。打ち上げ遅刻の理由が大泣きしてたからだなんて恥ずかしくて誰にも言えませんでしたが、そんなこともありました。
でも、おかげで、もっと頑張れました。実力不足なのは分かっていたことだし、私にとって苦しい経験はエンジンになるので、全部、よかったと思います。

25チームのリーグ日本1の夢は、思ってた以上に早く閉ざされました。シャイながら全員めちゃくちゃ熱くて同期想いでチーム想いな同期たちが引退しました。この1か月、悔しさ情けなさ虚しさ寂しさ、そういう言葉ひとつでは表現できないような今まで出会ったことの無い気持ちになって、さんざん泣いて、自分はこんなにも『このチームで日本1を獲ること』に執着してたんだなと改めて気づきました。
明治に負けて引退がよぎったとき、何にも力になれない自分が情けなくて情けなくてばかみたいで。この4年間は何だったんだろう??と。でもまだ可能性あるからって必死にチームを立て直して、なんとか皆で気持ちを切り替えて挑んだ立教戦で、私たちの道は閉ざされました。

みんなと出る最後のリーグ戦、東大戦4Qの終わりの挨拶で並んだ時、横であやこが泣いてるのを見てプツンと何かが切れて涙が勝手に出てきました。ラクロスに集中するために今まで蓋をしてた色んな気持ちが一気に溢れて、頑張らなきゃって縛られてたのが一気に解けた感じで不思議な感覚でした。

4年間ずっと自分が異常に執着し続けてきた『日本1』が突然閉ざされたとき、一方で私にはまだ準リーグで優勝するという道が続いていました。
引退勢がいるなかで準リーグに出られる自分は恵まれてるし、さっさと切り替えてこんどは準リーグ優勝に執着するべきだと、正論はそうだと分かってるけど、どうにもそんな簡単にパッと切り替えられるほどの軽い気持ちでリーグに挑んでたわけではなかったので、頭が混乱していました。

今も完全に切り替えられているのかは、わかりません。
ですが、今、準リーグで優勝したいという気持ちは明確に強く思っています。それは、今まで自分が一緒に練習してきた同期、そして愉快な後輩たちと最高な試合をして勝ちたいからです。

特に、Rの同期はフレデべリザ時代の3年間ずーっと毎日飽きるほど一緒に居た人たちで大好きなひとたちです。
この人たちと勝つために、自分が出来ることを最大限やろうと決めました。それはVで一緒に日本1を目指してもがいてきた同期たちへの恩返しみたいな想いもあったりします。準で優勝したら喜んでくれるかなみたいな。
今までひたすら自分のレベルアップばかり考えてきた私ですが、この1年でこのチームで日本1獲りたいとか、この人たちと一緒にラクロスしたいとかいう、だいぶ仲間想いな人間になりました。

私は、2度ラクロスを離れようとしたことがあります。
沢山色々考えた結果でしたが、纏めると将来のビジョンを考えた上で大学4年間をラクロスに捧げる選択は厳しいと判断したためでした。一度決めたら猪突猛進の性格故、かなりの皆さまにご迷惑をおかけました。

こういう場合って相場本人の意思を尊重して応援してくれると思うんですけど、杏菜が部活やめて起業で成功しても私はぜんぜん応援できないよと言われたり、ヒカリエのど真ん中でそんなの受け入れられないよと大泣きされたり、飾らず本音をぶつけてくれる素敵なお仲間もできました。
そんな素敵なお仲間の言葉さえ跳ねのけて退部を決意してたとき、4年間続けた先に見える景色はとんでもなく凄いんだぞと力説してくださった先輩のおかげで、今も私はラクロスをしています。
たしかに、続けてよかったです。
今まで出会ったことのない感情にたくさん出会えた素敵な4年間になりました。本当に、ありがとうございました。

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お決まりのコーナーいきます

・同期へ
少数精鋭で、皆が自分のラクロスとチームに一生懸命向き合っていて、同期想いで、ほんとに素敵な同期に恵まれたと思います。早くから上のチームに上がっても他チームにたくさん来てくれるひと、4年で日本1獲ろうと言い続けて信じてくれるひと、オフの日とかアフターで永遠にシュー練付き合ってくれるひと、いつ会っても爆笑させてくれるひと、みんなのおかげでかけがえのない思い出が沢山できました。ありがとう、これからもたくさん遊ぼうね

・ゴーリーズ
今まで、本当にありがとう。
色んな焦り・重圧・不安に負けず、慶應のゴーリーなら、慶應の1枚目として日本1を獲ることを絶対に最後まで諦めないでください。そして、何よりラクロスを楽しんでください。なにかあったらいつでも話きくので、いつでも連絡してね

・ゆいへ
多分誰よりも長い時間過ごしてるし誰よりも濃い時間過ごしてる気がする、自分ひとりじゃ乗り越えられないことも、ゆいのおかげで頑張れた。本当にありがとう。お互い強い気持ちとプライドがあり散々ぶつかったけど、今では顔を見れば何言いたいかだいたい分かるくらいになりました。すごいよね。長くなると恥ずかしいので続きは手紙に書きます

・ちほへ
ちほと一緒にやるラクロスで、私は純粋にラクロスを楽しむ心を持ち続けられたなと思います。明治戦の日、ちほに重荷を背負わせてしまい情けないと思ってたけど、なにいってんの一心同体だから一緒に戦ってるんだよ!と言ってきて、全くコイツ流石だなと思いました。私が引退の話を出すたびに泣き出して(また本人は泣いてない覚えてないと言いそう)案外情が厚いんだなと思いました。また終わらないアフターしようね。ありがとう。

・コーチの方々
大久保さんの様子のおかしいシュー練が1番楽しくて好きだし、貴一のワークショップは毎回新しいこと学べてその度にやっぱラクロス面白いなって思わせてもらいました。廣澤さんにはフィジ幹で新しい企画を沢山お願いした時もどんどん実行サポートしてくださって本当に感謝しています。まなさんのおかげでラクロス人生がより良いものに変わった人って沢山いると思うのですが私もその中の一人で、なんとお礼を言えばいいかわからないくらいお世話になりました。言い出したらきりがないくらいコーチの方々にはラクロスの楽しさを沢山教えて頂きました。本当にありがとうございました。

・先輩方
わたしにラクロスの楽しさを教えてくださり、ありがとうございました。骸骨カマキリ時代から贅沢にもシュートの上手な先輩方に沢山打っていただいたり、ビデオ見に付き合っていただいたり、たくさん育てて頂きました。本当に感謝しています。

・後輩
かわいい後輩たち!引退まで残り1週間くらいだから沢山シュー練たくさんしようね。いつもありがとう!そしてこれからもめちゃくちゃ応援してる。悲しくなったり嬉しくなったらいつでも連絡まってます

・家族へ
わがままな私にたくさん振り回されてるはずなのに、どんなときも応援してくれて4年間ずっと支えてくれてありがとう。あんまり家で部活の話はしなくても、ふいに、ほんとによく頑張ってるよと言われたときは実は涙がぽろぽろ出てしまいました。この部活で、人生で初めての感情や経験に出会って、世界が広がりました。

準、勝って終わります。

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次は、#73 あこです。

あことは、3年間ずっと同じチームでプレーして、楽しいときも苦しいときもたくさん一緒に時間を過ごしてきました。楽しかったなー

今では大泣きが風物詩のあこですが、とにかく素直でまっすぐなところ、友達想いでやさしいところ、いつも笑わせてくれるところとか、色んなものを背負いながらも頑張ってるところとか、とても尊敬してるし大好きです。

あこが頑張ってる姿を見て、わたしも頑張ろうって、ほんとに何度も思わせてもらいました。ありがとう
最後にあこと一緒にラクロスできて嬉しい。たのしもうね

あと1週間くらいで、あの大泣きも見れなくなると思うと寂しいです。
これからもたくさん遊んでね!
引退しても色んなとこ行こ🏝️
ぽめいぬにもまた会いにきてね

それでは!あこのブログお楽しみに!

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